テレパシー?2005/10/01 22:48

そう言えば二年ほど前にこういうことがあった。せっかく思い出したので、ブログに書き留めておこう。

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 私は、ある友人霊能者Iを紹介して欲しいと言われ、そう言ってきた気効師SとIを引き合わせて一緒に食事をしていた。食事が終わって、私はSと一緒に店を出た。そのとき私は確かに「トイレ」という男の人の声を聞いたのだ。見回したところ、男性は目の前にいるSと、レストランの受付だけで、その他にいたのは支払い中の女性Iだけだった。

 私は大いに戸惑った。Sと会うのは5年ぶりくらいだが、その間にSは、40過ぎにも関わらず、他人様の前に「トイレ」と声を出すような男になってしまったのだろうか。はたまた、Iの会計をやっていたレストランの受付が、お客様の支払い中に「トイレ」と大声で話すような変態だったのか。いや、それにしてはIが落ち着いている。とはいえ、Iがその程度では動じないというのは確かだ。きっと、受付が突然「トイレ」と言いながらお釣りを返してきても、それを平然ともらいながら後で「そう言えば、変な受付だった」と言うことだろう。ということは、やはり彼か。彼が言ったのか。だが、そのような奇癖のある人間が、レストランに勤め続けられるものなのだろうか。彼でなければいったい誰なのだろう。実は、私自身がその言葉を発してそれに気づいていない? いや、そんなはずはない。きっと、あの階段の陰に隠れて「トイレ」と言った人が・・・。でも、なんのために? 

 そんな風に、私の思考が右往左往しているところに、支払いを終えたIが来てSにこう言った。

「トイレならあちらですよ」

 Sは、一瞬あっけにとられたような顔をして、すぐに「ああ、ちょうど行きたかったので」と言ってトイレに入っていった。要するに、彼はトイレに行きたかったのは確かだが、それを口にしてはいなかったのだ。しかし、私もIも、二人ともはっきりと「トイレ」という男の声を聞いたのだった!

バリ島のテロ2005/10/03 07:46

またバリ島でテロがあった。

9.11のときアメリカはどうすればよかったのか。当時はアメリカの報復に対して肯定的だったが、今はわからない。あの悲劇は、犠牲になった人々の関係者にとって非常につらいことではあるが、憎しみと闘争の連鎖を終わらせる絶好のチャンスだったのかもしれない。あのとき、アメリカという超大国の力を持って、「我々は報復せずに堪え忍ぶ、平和を望む」という決然とした意志を示せば、その後の世界は幾分変わったのではないだろうか。

昨日、とても考えさせてくれる文章を読んだ。その要約を紹介させてもらおう。

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学生時代から黒人差別克服運動に関心が深かったアメリカ人女性のエイミー・ピールは、南アフリカに渡り、歴史的和解のプロセスに参加し、ボランティアとして働いた。ノーベル平和賞を贈られたネルソン・マンデラの運動に直接関わりたいと思ったのだ。しかし、予定の一年が終わり、帰国する二日前の晩、エイミーは四人の黒人の若者に車から引きずり出され、なぶり殺しにされた。四人は逮捕され、裁判にかけられた。殺人の理由は逆のアパルトヘイト、つまりエイミーが白人だという理由だけで、仕返しとして虐殺されたのである。

それからしばらくして、エイミーの両親の許に、一本のビデオテープが届いた。殺人犯の一人の若者の母親が泣き崩れながら、息子が取り返しのつかないことをしでかしたことをお詫びし、許しを乞うているテープだった。

そしてどうなったか。エイミーの両親はその四人を赦したのだ。黒人差別を撤廃しようとして戦った娘の死が意味を持つとしたら、娘を殺した相手に怒りや憎しみを抱くのではなく、彼らを赦さなければならないと思ったのだ。

四年後に四人の若者が恩赦を願い出たとき、エイミーの両親は南アフリカに渡り、委員会に彼らの恩赦を認めてくれるよう願い出た。そして、両親が捻出した資金によって設立されたエイミー・ピール財団において、最初に雇われ、現在そこで働く数百人の中心的な役割を果たしているのは、エイミーを殺した四人の若者なのだ・・・。

スペインギターコンクールに向けて32005/10/04 00:18

今日は10/9スペインギターコンクールの曲の最終調整日だった。東昭年さんにたっぷり聞いてもらったが、それなりに仕上がってきたと思っていても、ちゃんと聞く人に聞いてもらうとあらがたくさん出てくるものだ。今日はそのあらをなくすためのアイデアをたくさんもらった。

スペインギターコンクールは4回目。しかし、人前でも指に力が入るようになってからは、初めて受けるギターコンクールだ。あと6日。多少あらっぽくても思いっきりいきたい。

明日はスペインギターコンクール2005/10/08 09:03

いよいよ明日だ。今更どこが弾けないというのもないので、とにかくステージで自分を見失わないことが大事。

思うに、演奏家は「オレ様」でなければだめだ。「オレ様の演奏を聴け!」くらいの自信を持って表現しなければ、説得力がないのだと最近つくづく思っている。今のところ指の状態も良く、前のように当日突然おかしくなることもないだろう。明日が待ち遠しい。

どぅぁめだったぁぁぁ2005/10/09 21:14

本選に進めなかった。何がだめだったかというと、心に負けた。

今日は初めて、本番でもいつも通りに指に力が入る、それを期待してステージに出た。これまでのコンクールはいつも、指の不安に押しつぶされそうになりながらステージに上がっていた。それに比べればたいした進歩ではある。そして。。。

出だしは快調だった。「おっ、いけるいける」と思いながら、途中でちょっと不鮮明な音が出た。今考えてみれば全く何でもない、ミスとさえ言えないミスだったが、それが始まりだったのだ。

「ああ、くそ〜」=雑念の誕生

音がビビッた

「こんなんじゃ予選通過が難しくなる」=雑念の発展

空振り

「ああ、もうだめだだめだ」=雑念の急成長

指がもつれる=雑念の成就・・・

自分の演奏が終わってからその後残り2/3の人の演奏を聴いたが、その演奏から考えると、空振りまでのミスは何でもなかった。本選に残った人もたくさんミスをしていた(2人だけ完璧な人がいたが)。だからちょっとしたミスで悩まず、堂々と演奏をしていれば良かったのだ。それが雑念に支配されて、最後に指がもつれたのは完全にまずかった。こういうミスは要するに、指がちゃんと鍛えられていないということを暴露してしまうのだ。ミスしても本選に残った人たちは、しっかりした指を持っているのにたまたま間違ったという風に聞こえた。それに比べて私が最後の方でしてしまったミスは、何とかがんばっていたけれど化けの皮がはがれた、的なミスだったのだ。

結局のところ、やっと弾けるようになったレベルで(本選の曲は全然問題なかったのだが)二次予選に臨んだから、ちょっとした雑念とプレッシャーに負けてしまったのだろう。このコンクールが一ヶ月後だったら全然違っていたと思う。一ヶ月前、この二次予選曲を弾けるだけの技術はなかった。単純にそこまで指は動かなかった。そして今、とりあえず弾けるだけの技術を身につけた。一ヶ月後には余裕で弾けるだけの技術を手にしているというのは、希望ではなく正確な予測だ。

それでも、曲のタイトル通りに、喜ばしく輝かしく弾けたと思う。知り合いもそれを評価してか、本選に残っても良かったのにと言ってくれた。