長南年恵に関する覚え書き2006/05/21 20:12

長南年恵は1863年(文久三年)10月26日、山形県鶴岡市に生まれた。彼女には生涯月経がなく、異常なほど食が細くて、力だけは大男顔負けだった。30歳頃から次第に霊能力を発揮し始めると、1895年(明治28年)、医師の資格なしに怪しげな水で病気治療と称する詐欺行為を行ったとして、警察に逮捕された。この時は、67日間拘留されたが、証拠不充分で釈放されている。拘留中に数々の超常現象が起きたことが、弟の長南雄吉が鶴岡支署長宛に「事実証明願」を突きつけることによって明らかにされた。
・拘留されていた67日間、排便、排尿が一切なかった。
・何も食べなかった為、警察は困ってしまい、少しでもいいから食べてくれと頼んだ。そして、そんなにみなさんがお困りならばといって食べたのは、少量の生のサツマイモだけだった。
・完全に外部と遮断された監房内で、「霊水」「お守り」「経文」「散薬」などをどこからともなく取り出してみせ、これらを当時の署長(有村実礼)に贈った。
・年恵が監房内で神に祈っている時に、何人もの係官が笛に似た不思議な楽音を聞いている。
・2カ月以上ろくに洗髪はおろか、入浴も許されなかったはずなのに、まげはいつも結いたてのように艶やかで、しかもとても良い香りが匂いたっていた。
・1升びん15本分以上もある大桶の水を、軽々と運んだ。
・年恵ひとり蚊にたかられず、蚊帳も必要としなかった。

1896年に再び逮捕され、一週間の拘留があった後、1900年(明治33年)に三度目の逮捕が行われた。そして大阪区裁判所で拘留十日間の判決を受けたのだが、この処分を不服として、弟の雄吉が控訴した。その結果、神戸地方裁判所で再審が行われ、尋問の後、中野岩栄裁判長が自ら密封し封印をした空きビンを長南年恵に渡した。このとき年恵は、実験の前に丸裸にされて、徹底的に調べられていた。精神を統一するために別室にこもった彼女は、わずか二分ほどで、神水が満たされたビンを法廷に差し出した。この後、簡単な質疑があり、彼女に無罪の判決が下った。明治33年12月12日にあったこの裁判の様子は、現在も神戸地方裁判所に記録が残り、同月14日の大阪毎日新聞に掲載されている。

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