ギターとディクシャと快磁効(長文)2007/08/22 20:54

ディクシャ=インドの聖者カルキ・バガヴァンが “悟り” を人々に授けるために2003年に始めたエネルギー伝授のこと。

快磁効=血液・リンパ液のスムーズな循環、神経の正常な働きを回復・維持し、自然治癒力を高める世界初の8極複合磁気治療器。(http://www.kaijiko.co.jp/


昨年11月からの劇的な指の変化をここにまとめておこうと思う。

2006年11月2日に、死期を間近にした友人のディクシャを受けたら、次の日から、右手中指(m)を弾いてからすぐ人差し指(i)を弾くという連携ができなくなった。それまでに3回ほどディクシャを受けていたが、そういった変化は一度もなかった。ただ、今までに、ある日突然何かの動きができなくなるということはあった。その特定動作はたいてい1,2週間で元に戻り、そうなったときに総合的な動きが飛躍的に伸びるというのをそれまでに数回経験していた。
しかし11月のそれは違っていて、一ヶ月経っても戻らないし、miのコンビネーションがとことんおかしくなってきた。それでもこのときは、徹底的に替え指を使うことによって、人前で引き続けることができていた。

2007年1月、文章を書く仕事が増えたこともあって、両手が疲れ筋が痛くてどうしようもなくなったときがある。その際、快磁効を紹介された。快磁効を用いた先生の施術によって痛みはなくなり、その後先生は快磁効を貸してくれた。これを付けると、演奏家は楽器の鳴りが良くなり、歌手は声が良くなるという。だが自分の場合はなんとなく、これを身につけているとiに力が入らなくなるような感じがして、あまり利用していなかった。

miのコンビネーションに関しては少しずつ、本当に少しずつ良くなり、4月頭の時点ではかなり11月前に戻ってきていた。一方ではそれと平行して、過去にできなかった動きが飛躍的に伸びている。やはりディクシャによる11月の変化もまた、今までに例がないほどスパンが長かったものの、指を総合的に良くする為の一時的変化であったと言える。
そしてこの頃、快磁効に関してひとつの考えが頭に浮かんでいた。もしかしたら、快磁効を身につけるとiに力が入らなくなるというのも、「一見悪くなったように見えても、それによって総合的に良くなるように視えない力でサポートしているのではないだろうか。」、そんな風に思えてきたのだ。

借りていた快磁効を返しに行ったら、まだ借り続けていろいろ試して欲しいということになり、5月は初めて本格的に快磁効を使ってみていた。ところが5月25日、今度は突然和音が弾けなくなった。和音を弾くと弦を引っ張ってしまい「バチン」という音がしたり、3和音のはずが2つの音しか弾けなかったり、とにかく全然弾けなくなってしまったのだ。
これも、さらに良くなる為の一時的変化だったとしても、11月の変化から元に戻るのに半年かかっている。となると、この変化から元に戻るのは1年先なのか、2年先なのか。iの第二関節をテーピングして固定すればある程度弾けなくはなかったが、結構絶望感にさいなまされていた。2001年12月にギターに復帰してから初めて、ギターを止めようかと思ったのはこのときだ。

それから数日して、中西研二氏の遠隔ワンネス・ディクシャの案内が目に留まった。そのとき私は直感した。「ディクシャで始まった一連の悩みはディクシャで解決できるのではないか」と。家にいながら受けられる4回1セットのディクシャを私は早速申し込み、6月10日から毎週日曜日、7月1日までそれを受けることになった。

6月24日、ひとつの大きなきっかけが訪れた。仲間由紀恵さん関連のDVDを「すぐ返すから」という言葉を信用して貸したのに、延々と、何度催促しても2年以上返してくれなかった友人がいる(ひどい!)。その彼がDVDを返しにやってきた。その中にギタリスト、エリオット・フィスクのDVDもあり、「こんなのも貸していたんだ」と思いながら久々にそれを見てみた。驚いたことに、その彼の右手親指(p)は非常に反り返っていて、私が捨て去ってしまったフォームだったのだ。

2004年1月に、私はそれまでの、すべての指がかなり丸まっていて、p以外は第二関節を支点に動いている右手フォームを捨て、指が自然に伸びて第一関節を支点に動くフォームへと矯正し出した。その一環として、反り返っていたpの指も自然に伸びるように矯正していた。しかしフィスクのフォームを見たとき「このフォームでもこうして世界的に有名になっているんだ」と感心し、「何も弾けないよりは昔のフォームでも弾けた方がいい」と思い、再びpを反り返らせた。これが実はジャストフィットだったのだ。昔のimaのフォームのままでpを反り返らせるのと、矯正したimaと一緒に反り返ったpを使うのとでは全然違う。このpのフォームは「正解」だと確信した。より少ない力で、しっかりした音を出せる。それによって、全く弾けなかった和音が40%くらい弾けるようになってきたのだ。

次の転機が訪れたのは8月2日だ。ヨーロッパのフェスティバルに行ってきた友人がギタリスト、アルバロ・ピエッリから右手小指にボールペンを挟んで弾く練習方法を教わってきた。変わった練習方法もあるものだと思い、試してみてびっくり。あれだけ弾けなくなっていた和音が嘘のように弾けるのだ。これによって急速な連打以外は問題なく(ボールペンを挟んでいれば)なってしまった。

復帰までいったいどれだけかかるのかと、あれだけ絶望感にさいなまされた変化は、結局2ヶ月でかなり元に戻った。今のところまだボールペンを手放せないが、すぐにボールペンなしでも弾けるようになるだろう。現在は、自分が目指した理想のフォームで弾ける時間が多くなってきている。ちなみに快磁効をつけるとiに力が入らないという状態はもうない。


<まとめ>
旧フォームと新フォームの間には、とても深い谷があったのではないだろうか。昔私は同じフォーム矯正をしようとして、その谷底近くに落ちたのか、iの指が全然だめになりギターを止めた。しかし今度はやり遂げる自信があったし、その新フォームへの変化を急ごうとしていた。それでも、実はおそるおそる谷底に向かって降りて行き、全部降りなくていいようにあわよくば途中に橋を架けようとしていたのだと思う。だから、新フォームによって音量は50%増にになり、表現力が増してきても、いつまでも弾きにくさがつきまとっていたのだろう。昨年11月の前は、どんなにゆっくり弾いてもある種の弾きにくさがあった。
そこへ11月のディクシャが「もっと早く駆け下りろ」とばかりに後ろから押した。一気に降下した私は何事かよく分からず、こちら側に這い上がるか、その地点で向こう側への橋を架けるか、そんな風に悩んでいたのが4月くらいまでの私ではないだろうか。そこへ快磁効が「いつまでちんたらしてるんだよ」と、思いっきり谷底に蹴落とした。もちろんこれは、向こう側に這い上がることができるのを信じての行為だと思う。ただ、落とされた方としてはたまったものではない。自分一人では這い上がる自信がなく、中西氏の遠隔ワンネス・ディクシャを頼った結果、思いもよらなかった2つのきっかけが訪れ、あっという間にかなり這い上がることができた。これがここ1年弱の間に起きてきたことではないかと思う。

ロシータは一万円とともに2007/08/29 22:28

今現金書留封筒の中にいます。

今年は基本的にコンクールを受ける気がなかったのですが、名古屋コンクールの審査員が福田さんだと見たときに、20数年ぶりに一緒に飲みたいと思いました。また、マイミクさんの出場率が極めて高いので、応援に行くよりは受けましょうという感じです。

ロシータは何となくしか練習していなかったので、日曜日の録音は悲惨。しかも指の調子もあまり良くないというのがあって、その日は3時間かかっても「これを送ったら絶対落ちる」レベルしか録れず。とは言え、一応ボールペンなしで弾けるようにはなりました。

月曜にまた3時間。今度はなんとか「これなら通るかもしれない」くらいの録音が。でも、録音すればするほど、しみじみと難しい曲に感じてきました。単に練習不足なのかもしれませんが、いやらしいグリッサンドが随所にあり、その中でこの曲が必要としているお気楽な感じを出すのは非常に難しいと感じました。そういえばグリッサンドをまじめに練習したことってないです。タレガ以外ではそんなにたくさん出てきませんから。

火曜日にさらなる2時間。そして、昨日よりいいものが録れたと思って聞いてみたら・・・

「なんだかあまり変わらないような・・・。」

しかしよく聞き比べれば確かに昨日よりはいいです。この時点で、31日の締め切りまでに何度も録り直してもさほど良くならないのでは、というか、それをやる時間と気力はない、という結論になり、今その録音は参加料一万円とともに現金書留の中にあります。今日新たに取り直すことはしませんでした。明日これを郵便局に持って行ったら完了。

さて、エントリーできるのか、それとも単に応援に行くことになるのか?