あけまして2016/01/02 16:36

あけましておめでとうございます。2014年の終わり頃、FBで「今年は最高の年だった」と書いていたのですが、2015年はそれにもまして良い年でした。そして2016年はもっと良い年になるでしょう。いや、なります。そうしてみせます!みなさ...

Posted by Siyoh Tomiyama on 2016年1月1日

生まれつきの才能がなければ上達には限界がある?2014/07/02 20:52

エジソンの有名な言葉に「天才は1%のひらめきと99%の努力(汗)」というのがあります。
この意味は二通りに解釈されています。
1. いくら天才でもたくさんの努力が必要。
2. いくら努力してもひらめきがなければダメ。

原文は
"Genius is one percent inspiration, ninety-nine percent perspiration"

英語は、より強く言いたいことを最初に持ってきます。日本語とは全く逆ですね。それを考えるとここから感じるのは、やはりインスピレーション、つまりひらめきを大事にしているということ。その雰囲気をより良く出して解釈してみると、こうなるのかもしれません。

3. ひらめきなんて1%でいいんだ。それさえあれば99%の努力で何とかなる。

私はこれが、エジソンの本来言いたかったことではないかと思います。なぜこんなことを書いているかというと、こんな記事があったからです。

「練習は時間の無駄」生まれつきの才能がなければ楽器やチェスの上達には限界があるとの調査結果
http://irorio.jp/asteroid-b-612/20130522/59744/

この調査をとらえる上でまず考えなければならないのは、効率の悪い、あるいは間違った練習をいくらしても上達はしないことです。みながそれぞれに見合った正しい練習をすれば、それだけで調査結果がかなり変わるでしょう。とはいえ、ほぼ確実に、どんなに正しい練習をしても、上達の差が歴然としてくる場合が出てくると思います。そこには一体何があるのでしょう。

エジソンの例で考えましょう。1%のひらめきなんて、日頃生活していればほぼ誰でもが経験することです。そのひらめきがないとしたら、その人は人生に疲れ果てて、希望を失っているのかもしれません。つまり前向きに生きて、残り99%の努力をする気があるのなら、誰にでも天才と呼ばれる機会が与えられることをエジソンは言っているように感じます。

練習で上達するかしないかの大きな差は、このひらめきにあたる一つのポイントにあります。それは、練習した先にうまくなった自分がイメージ出来ているかどうかです。そのビジョンがないと、それこそ「才能がない」と思われるほど上達がない局面があり得ます。何しろ、自分の潜在意識レベルで自分がうまくなることを否定していたら、うまくなれるはずがないのですから。もう一つ、その潜在意識レベルで、自分はうまくなるために練習時間を使うことを欲しているのか、というのもあります。実はもう少し他のこともやってみたい、練習時間を削りたい、などと思いながら練習してもその効率は悪くなります。

練習してもなかなか上達しない時、それは自分に才能がないからだと思うのはあまりに短絡的です。米ミシガン州立大学の心理学教授ザック・ハンブリック氏によれば、「チェスなどのゲームや楽器の分野においては、どんなに練習をしても、生まれ持った才能がなければ上達は限界があるそう」とのことですが、そのような結論を出すこの人は、人間の考察が浅いのではないでしょうか。どんなに練習しても限界を感じたとしたら、その時考えるべきことは:

正しい練習をしているか
その練習方法は自分に合っているのかどうか
自分自身で限界を定めていないか
うまくなるために練習に使う時間と、それによって得られる期待のバランスが合っているかどうか

こうした事柄ではないでしょうか。

ちなみに、持って生まれた才能があるとしたらそれは、今日ギターを初めて触ったのに、いろいろな名曲を弾ける人がいたときです。もしそんな人がいたら、自分には才能がないと思うしか無いです>_<

ブログを分けました2014/05/01 23:14

長らくギターと心でやってきましたが、これから心に関してかなり本格的に文章を書いていくため、これを機会にブログを分けました。こちらはギターと作曲のブログ。

そして新たに「世界は思い込みでできている」という下記ブログを立ち上げました。
http://ameblo.jp/siyohtomiyama

とりあえず宗教関連の話から始めていますが、先々はもっともっと大きな、この新しいブログのタイトルに見合う、人が生きる上での最重要事項に迫って行くつもりです。そちら方面に興味のある方はたまに覗いてもらえると嬉しいです。

善と悪、100%の法則2014/02/18 00:33

世の中は二元論では計れません。絶対的な善とか悪はないですよね。誰かにとっての善は、誰かにとっての悪だったりします。実際私は、自分がそうしてもらうと嬉しい事を人にして、後から「あのときは悔しかった」とか言われたり、その場で切れそうになられたりしたことが何度かあります。

「自分がされて嫌なことは他人にやらない」というのは、確かに安全策です。でもそのために、仲良くなる絶好のチャンスを逃しているかもしれません。逆に、「自分がされて嬉しい事を他人にもやろう」と言う人がいたとしたら、それはあまりに傲慢過ぎる考えだと思います。

世の中には絶対的な善も悪もないし、絶対的な真実もそれほどありません。その、数少ない真実の中に100%の法則があります。何かをする時、あらゆるところに満ちているわけの分からない力(気の一種?)を最大限に活用したかったら、それを100%楽しんで行うことです。極端な話、殺人も、それを心の底から100%楽しんで行っていたら、そうそう捕まらないし、仲間もたくさん集まってくることでしょう。いわゆる、流れが味方するといった感じです。幸い、そういったことが出来そうな人はそうそういないので、世の中の秩序は保たれているわけですが。

なんでこんなことを書いているかというと、、、それは単に、突然こういうことを書きたくなったからです。。。

まあ、言えるのは、練習するならそれを100%楽しんでやった方が、絶対上達が速いということですかね。

ジストニアはこんな風に治っていくべき2014/01/26 22:53

今日、私と同じようにジストニアにかかってしまったピアニスト、上園賢一くんのコンサートを聞いた。彼は発症して暫くの間演奏を休んでいたが、少し前から無料のチャリティコンサートを行っている。今までに何度も人前で弾いてきた曲でも、当日に弾けなくなるかもしれない、それがジストニアだ。そのリスクが有るため、だいぶ回復して弾けるようになっては来ていても、当日突然弾けなくなったら申し訳ないので、入場料無料のチャリティコンサートにしている。また、一曲ごとにトークをして神経を休め、症状が極力出ないように配慮するスタイルをとっている。

実はこのトークが秀逸で、彼の暖かい人間性がよく出ていた。今日は家族に関した話も多かった。息子の英語の成績がとても悪いので、一緒に英単語を覚えようと持ちかけ、実際にそうして、彼は次のテストに一番をとった。娘は留学のためにアルバイトしながら貯めてきたお金の一部を使ってクリスマスプレゼントを買い、両親、弟が寝ている間に、その枕元にプレゼントをそっと置いた。賢一くんのFBの書き込みには、奥さんに関するのろけ話がいっぱい! 私も、もしこれからでも家庭を持てるのなら、こんな家庭を持ってみたい。

誰か協力しませんか(笑)?

話変わって、最近ジストニアがどう治っていくべきなのかがわかってきた気がする。今日、賢一くんがステージで言っていたが、演奏家の指は本来、かなり無意識で動かなければならない。ちょうど歩くときに足をどう動かすかを考えていないように、そのレベルで指を動かす。それでこそ、色々と表情を乗せていく余裕が生まれるわけだ、と彼は言っていた。しかしジストニアにかかるとそれが変わる。実際、重症の全身性ジストニアの場合、歩こうとすると後ろに向かってしまうこともあり得る。

自分の場合、ひどいときは、1音弾くと、次の音は3秒後くらいでないと出せなかった。これが、メトロノームで数えられる程度のゆっくりさで確実に弾けるようになって来た時、私は治ってきたのを確信した。歩き方で言えば、注意して足を動かせば、何とかゆっくり前に進める感じだ。その確実性のある速度がだんだん上がってきて、非常に注意すればかなり速い動きもできるようになって来た。これが2012年のデビューリサイタルの頃と言える。しかし、ここまで言っても、速い動きの練習を続けると、何度も指が変になってきた。実際、昨年2月のコンサートの頃、pとamiの交互が出来なくなって来ていた。

それを再び克服してまた弾けるようになって来た今、色々と更にわかってきたことがある。昨年ティボー・コーヴァンの公開レッスンを受けた際、非常にゆっくりの速度から、メトロノームで5ずつ、速度を上げながら練習している方法を習った。さらに田口秀一さんの右手に関するアドバイスもあり、数カ月前から、とにかく正しいフォームでゆっくりという練習をやっている。それまではとにかく弾ければ良いということで考えていたが、あるときから、正しいフォームで弾けなければダメという制限を自分に加えた。すると、ある程度速い速度で弾いていると、だんだんと指がおかしくなって弾けなくなっていたのだが、これくらいの速度なら絶対におかしくならないという速度が見えてきたのだ。これが見えたら、その速度で徹底的に反復練習し、少しでもおかしくなってくるようなら速度を落とす、逆に大丈夫そうなら速度を上げていく、これが完治への道だと思えてきた。

実はこの練習法のようなことが、ジストニアに関する本に書かれている。ただ自分の場合、一時期はどうゆっくり弾いても弾けなかったわけなので、そういう治療法を書かれてもピンと来ていなかった。だが、ある程度治って、それなりに弾けているようにみえるくらいまで来たら、この練習法が非常に効果的だと思う。

そんな風に思う根拠として、ある事実がある。最近の自分は、初めて弾いてみる曲と同じくらい、昔、人前で何度か弾いた曲が弾けないのだ。つまり、なんと言うか、一度無意識化でプログラムされたものが全く壊れている状態と言って良いと思う。ただ、ジストニアにとってはそれが良いのだと信じている。一度無意識化まで徹底的にプログラムされた頭が、バグのために完全に暴走し、もはや回避プログラムではどうしようもなくなっている状態がジストニアだと思う。それを治すのには、一からの再プログラミングが必要なわけだ。

幸い、昔弾いたことのある曲の再プログラミングは、まだ弾いたことのない曲をプログラミングするよりは速い。全く話にならないほど弾けないのが、3日ほどであっと言う間に弾けてくる。こんな風にして、理想の速さで弾いても再び無意識のレベルまで持ってこれたら、今度こそ本当に、完全にジストニアが治ったと言えるのだろう。

今、それなりにゆっくりなら、無意識レベルまで指を持ってくることができるようになって来た。後少しだ!