毎日毎日2005/11/09 01:46

毎日毎日、昨日より指が強くなってきている。それでもいまだに理想の右手には全然届いていない。トレモロなどでaの指を素早く使い続けると、一分も経たないうちに疲れてきて、思うようにタッチが行かなくなる。

ギターを弾くのにこんなに筋肉が必要だとは思っていなかった。要はそれぞれの指が他の指と全く関係なしに弦を弾ければ自由自在なわけだ。それができれば、その前に何を弾いていようとこれから弾こうとする指が影響されることはない。自分はまだ、aだけでなくpの指も弱いようだ。早いパッセージでpを弾くと、その後すぐにiの指が出せなかったりしている。

昨年初めに右手フォームを変え、また、いちから丸二年間やってきた。それで今の状況というのは早いのか遅いのか。10才くらいの若者なら絶対もっと早く筋肉がつくだろう。でも、44才にしては、比較的早い筋肉の付き方をしているのかもしれない。毎日寝るときに「明日はまたもっと指が強くなるように」と祈っている。

霊も息をするか2005/11/12 03:04

 霊からの電話を録音したものに息継ぎの音が入っていて、それはおかしいと論争が始まったと昔言ってきた人がいる。それに対して当時どう答えたか覚えていないが、そんなことを思い出しながら、今日は下記の文章を訳していた。日本心霊科学協会の協会誌にいずれ載るものだが、ちょっと紹介しよう。あちら側に行っても勉強熱心なある霊からの通信だ。


 我々もあなた方と全く同じように息をします。心臓はあなた方と同じように脈打ち、その鼓動は生きているときと同じように潜在意識レベルで制御されています。
(中略)
 霊界にも地上と同じように空気があります。我々は息をするための肺を持ち、その肺は地上でいうところの、酸素を血液に運ぶ役割をしています。地上では息をすることによって血液がきれいになっていきます。霊界において、我々の血管にはたくさんの上質な血が流れ、美しくきれいで新鮮かつ香りのよい空気を吸っています。ただ、地上では血液に酸素を供給するプロセスがこちらでは、霊界の空気の主な要素である霊的エナジーを取り込み、血液を再び活性化させるプロセスとなります。

 呼吸しないでも存在できるのでしょうか? それは無理だと思います。呼吸は地上でと同様に、我々にある程度生命力を与えてくれます。ただ、あなた方は空気だけでは存在できませんね。食事と飲み物がなければ。しかしご存知の通り、我々にとってそれらは必需品ではありません。
(「INFOnews」 94/02より)


 この霊は呼吸しなかったら存在できないと思っているようだが、実際はどちらでも存在していけるのだと思う。頻繁に体外離脱する人の中には、自分の知っている霊は呼吸しないと言っている人もいるようだ。

 それにしても、こういった文章書きがパソコンと同じくらいにお金になれば、もっともっとその方向で行きたいのだが。どこかそういう仕事をくれないだろうか?

ひいた2005/11/22 02:41

ひいたと言っても別に風邪をひいたわけではない。当たりくじを引いたわけでもなく、人も轢いていない、最上のコーヒーを挽いたり、ひき肉を挽いたりしたわけでもない。ギターをたくさん弾いたのだ。

日曜日にmixiで企画された「本番度胸をつけよう会」で昼間弾いて、夜はクラスタのフリーコンサートに出た。mixiで集まったのは10人。言い出しっぺのトモさんが借りてくれたスタジオに行ったところ、3人で練習するのがやっとみたいな部屋で最初はびっくりした。でも、ドラムセットを片付けて、アンプなども多少動かしたりしていたら、なんと全員座ってもちゃんと別にスペースがあるくらいの広さになった。

とはいえそんな部屋なので、演奏者と一番目の列の人との間は1m以内。しかも初めての人たちばかりなので、久々に人差指の戻りが悪くなった。それでもそれなりには弾けたが、なかなかよいプレッシャーだった。

終わってから当然皆でどこかに行くとは思っていた。そこでコーヒーでも飲んでクラスタに向かえばちょうどよいかなどと考えていたら、入ったのは居酒屋だった。開店と同時に入ったところ、ちょうど全員が入りきる個室に案内された。この閉鎖された空間は非常に心地よく、途中で数人がギターを取り出し、そこでもまた演奏が始まったのだ。そんな風に気持ちよく飲み(当然押さえ気味だったが)夜はクラスタへ。

クラスタではまず、最近新しくメニューに加わったカシスビールを飲み、少ししたら演奏の順番が回ってきた。そして自作の短い曲、オブラディ・オブラダ、ごくせんを弾いたが、適度な酒量だったのか、細かいミスはうじゃうじゃあったものの、かなり自分を出して弾けたと思う。だんだんと昔の、人前でも全然上がらずに弾いていた自分を思い出せてきたようだ。

とにかくギター三昧の一日だった。

やさしい小品集2005/11/25 20:54

自分のギター曲はどちらかというとギターの性能をかなり引き出すものが多い。ということはつまり、どちらかというと難しいというわけだ。一応断っておくが、現在の標準的なレパートリーの中で言えば、難しさは中の上くらいで、決して難しすぎることはない。

ギター復帰後に書いた「アメージング・グレースの主題による変奏曲」は、一ヶ月以内に人前で弾く都合もあってそれなりに易しく仕上げた。しかし今また、さらに易しい、初見で弾ける曲集を作ろうとしている。これは自分にとって新しい試みだ。これから1,2ヶ月の間に何曲か書いていこうと思う。さて、最終的に何曲できるだろうか。できれば10曲くらい作りたいものだ。下記のURLで今できている2曲だけ紹介している。

http://www.asahi-net.or.jp/~qr7s-tmym/Works/ComJS.htm

東京国際ギターコンクール 結果2005/11/27 19:45

昨日、今日と、朝から夕方までずっとコンクールを聴いていた。東京国際ギターコンクールは初めて聴いたのが20年くらい前。その頃は「国際」の二文字はついていなかった。それが国際になってから何年目になるのか、だんだん本選に行く外人勢が多くなり、今年はついに日本人がいない本選会となった。

ちなみに予選を聴いていて唯一日本人で惜しいなと思った人は谷辺昌央さん。この人はぎりぎりで本選出場もあり得たかと思う。

さて、本選の結果は下記のようになった。括弧内は私の予想だ。

1位 Meng SUー中国(2)
2位 Jan DEPRETERーベルギー(1)
3位 Artyom DERVOEDーロシア(4)
4位 Samuel T.KLEMKEードイツ(6)
5位 Edward TRYBEKーアメリカ(5)
6位 Laura KLEMKEードイツ(3)

本選出場者の選考に関しては全く納得のいく内容だったが、本選結果はかなり予想と違った。でも一位と二位の逆転はそれなりに予想できる範囲だった。一位のMeng SUさんは課題曲がすごく良かったのだ。実はこの演奏に私は一役買っている。今回の本選課題曲は人の感覚を無視した音列的な曲で、私と友達もこのコンクールを受けていたため、とりあえずパソコンで理想の演奏を録音してみた。この手の曲は人間ではなく機械が演奏するのに向いている。そしてたまたま今回の中国の人に絡んでいる友人がいた。その友人が家にきたときこの録音を聴いて、SUさんに渡したいから一枚CDをくれと言われたのだ。今日すべてが終わってから聞いたところによると、彼女はこの模範演奏を毎日聞いていたらしい。彼女の課題曲はほぼパーフェクトな仕上がりだった。

終わってからJanさんに、課題曲で差がついたと思う、それにこの手の課題曲はタイプではないのでは、と言ったところ、彼は反論してきた。この手の課題曲で彼は7つのコンクールを制覇しているそうだ。さらに今回、野呂武男氏のこの曲をやるにあたって、彼は日本の伝統的な音楽からアプローチし、尺八的な要素も含んだ解釈をしたとのことだ。とはいえ、この手の無機的な曲にそういったアプローチはどうなのかとも思ったが、それに関しては言わないでおいた。基本的に彼は「このコンクールは自分に一位をあげる気がないのだ」と憤慨していた。

実は審査結果が出るまでホールで出会った知り合いに皆聞いてみたのだが、全員Janさんが一位になると思っていた。それでも二位だったのは課題曲やバッハの独特な解釈のせいかと考えていたところ、それはそれで要因となるだろうが、さらに別の大きな要因があった。

課題曲に重みを置く審査員もいたが、全体として考えると課題曲はそれほど重要ではなかったと見える。なぜなら、課題曲を忘れてしまい、一曲目を途中から三度繰り返したあげく、残りを弾かずに二曲目に移ってしまった人がいる。ところがそのSamuelさんはしっかりと4位に入ったのだ。Janさんの敗因は、彼が好演し、全部の演奏が終わっていないにもかかわらず観客席から拍手が起きたトロバのソナチネにあった。これが、ある二人の審査員に対して致命的な演奏だったようだ。この二人、濱田滋郎さんと鈴木一郎さんだけ、Janさんを最下位につけている。

ちょうど会場でギタリスト小川和隆さんが鈴木氏に詰め寄っていた。なぜJanさんが最下位なのかと。その会話をまとめてみると、鈴木氏はこう考えているようだ。ただ、ここに書くのはあくまでその会話から私が得た私感であって、鈴木氏の公式見解ではない。

○コンクールでは作曲者の意図を反映させた演奏であるべきだ。
○コンクールにはそれ相応の難しい技術を必要とする選曲が必要だ。

セゴヴィアから直接トロバの解釈を聞いてきた鈴木氏にとってJanさんのトロバはトロバ風ではなくJan風で、完全にNGだった。さらにソナチネは易しすぎるため、それを見事に弾いたからどうした、という気持ちがあったようだ。

もう一人、Janさんに最下位をつけた濱田氏もきっと似たような思いを持ったのではないだろうか。

そう言われてみると確かに納得はできる。コンクールと一般の演奏会では基準が違っても仕方ないのだろう。しかし、一位を逃したとはいえJanさんの演奏が参加者の中で一番すばらしかったと私は思っている。今回初めて直接話す機会を得て、火曜日のベルギー大使館での演奏会にも誘ってもらった。彼の演奏会を聴くのは、どんな有名なプロの演奏を聴くよりも楽しみだ。実際彼はすでに、セゴヴィア、ブリームのような大家の位置に近づいていると思う。そう言えばセゴヴィアがコンクールに出たらどうなっただろう。あの癖の強い演奏では本選にも残らなかったかも。そう考えるとJanさんが一位をとれなかったのも当たり前なのかもしれない。

一位のSUさんには来年コンサートツアーが与えられている。でも正直なところ、それを聴きに行く気はしない。これがJanさんなら絶対聴きに行くが。テクニック、音楽のどちらをとってもJanさんの方が完全に上だ。特に右手の音楽表現テクニックは、プロも含めて世界一と言ってもよいと思う。後はあくまで自分の音楽を貫くか、もう少し一般的に受け入れられる表現にするかで、世間一般でいう大演奏家になれるかどうかが決まるだろう・・・。