ベトナムギター漫遊記その一2006/06/11 16:55

6/1 ノイバイ国際空港着
迎えにきてくれた友人の運転手さんが、20秒おきくらいにクラクションを鳴らすのを見て、早速カルチャーショック。でも確かに、それくらい鳴らさないと、安全に運転はできないみたい。夜、ハノイ中心部で見たバイクの洪水もすごかった。両親と二人の子供、赤ん坊を抱えた母親が後ろに、など3人、4人乗りは当たり前。。。

今回の飛行機は、アンダンテで教えているマシアーニさんと一緒だった。そしてホテルでボッティリエーリさんと合流。二人とも母国語はイタリア語だが、マシアーニさんは日本で育ち日本語がぺらぺら。ボッティリエーリさんはそれなりの日本語と英語を話す。


6/2
朝9時にハノイ国立音楽院のギター科へ。早速コユンババとさくら変奏曲を弾いた14才のアン君は結構うまかった。期待の若手のようだ。その後、ヴィラ=ロボスのプレリュード第一番、バッハのチェロ組曲第一番からプレリュード、大聖堂などの曲をもっと年長の人たちが弾いたが、どれもかんばしくない。
しかし次に、ジュリアーニの協奏曲イ長調第一楽章を弾いたキエンさんはうまかった。その次に「ある貴紳〜」を最後のカナリオを除いて演奏したズングさんも非常にうまい。キエンさんはメカニックが抜群で、クラシカルギターコンクールに出たら一位になれると思う。ただ音楽性はまだ今ひとつなようだ。一方ズングさんは若干メカニックが危なくなるときがあるけれど、いい音楽性をしている。この二人が音楽院の2トップだった。ちなみに二人ともそれぞれの曲を最後まで弾きたかったが、伴奏のピアニストの準備が間に合わなかったそうだ。特にカナリオは今練習しているだけに、すごく聞きたかった。

一通り学生の演奏が終わると、当然こちらに何か弾いてというリクエスト。私が先頭を切って、三つのメキシコ民謡から2,3番目を弾く。クラシカルギターコンクールで死ぬほど練習した曲なのに、途中で音をうまく思い出せなくなり、あやふやな演奏をしてしまった。海外で初めて、しかも午前中に弾くので、かなり緊張していたようだ。

マシアーニさんはトロバのソナチネから第一楽章、ボッティリエーリさんはM.Corosaの「Moments live in my Memory」を弾く。このボッティリエーリさんが弾いた曲はその後も滞在中に数度聞いたが、非常にいい曲だ。いつかやってみたい。

その後は音楽院のヴィン先生(この人はとても面白い人だった)が、朱色の塔、そしてアラビア風奇想曲を弾いた。朱色の塔は超速弾きで、熱情あふれる演奏。でもアラビア風はベース進行をまるっきり間違えて覚えているようで、なんだか独特の音が生まれていた。

音楽院を出て昼食をとると、次は盲目のプロギタリストヴオングさんの家へ。この人は作曲もかなりして、ハノイではかなり有名な人らしい。何曲か聞かせてもらったが、基本的に古典的な和声と、ベトナム民謡がミックスされていて、曲によっては時々効果音として前衛的な音も用いられている。CDとVCDをもらってきたので、今度ゆっくり鑑賞したい。演奏は爪を磨いていない荒い音だったが、非常に心打つものがある。聴いているうちに、こういうのも魅力的な音色の一種なのかもと思った。
なお、そこでも当然ギターを弾いて欲しいと言われ、私は「花」の自アレンジを弾いたが、最後の一番感動的なところで忘れて止まってしまった。それに対してそのギタリストは、弾きながら感動し過ぎて忘れたのだろう、と言ってくれた・・・。

その後ホテルへ戻って練習時間が与えられると、夜は中心部にあるホールでコンサート。ホールへ行くと、エアコンのない6帖くらいの物置き場が3人の控室として与えられた。さすがベトナム! いい控室は期待していなかったとはいえ、これはちょっと・・・。外はまだ30度くらいあるし。でも開演間際に、やっぱりこっちを使っていい、と通されたのは大会議場。当然エアコンもあってほっとした。

コンサートはいきなりベトナム人二人によるフラメンコで始まった。あれはパコ・デ・ルシアが時々やっている曲だ。次に私が椿姫の主題による幻想曲を弾く。再び最後にちょっとど忘れが出たが、音楽は全然止まらなかった。やっとベトナムで弾くことに慣れてきた感じ。マシアーニさんとボッティリエーリさんは私よりずっと長い時間を弾いた。マシアーニさんの音楽はとても丁寧で、トロバ、トゥリーナにまた違った良さを感じさせてくれる。またボッティリエーリさんは、ヨーロッパの伝統的な表現がすごい。あれだけ見事な、伝統音楽を感じるジュリアーニを聴いたのはまだ二度目。大序曲は絶品だった。

コンサートの後半はまたベトナム人による演奏。このときから何度もベトナムのオリジナル作品を聴くことになる。彼らは自分たちによるギターの歴史をしっかりと持っていて、ベトナムの曲を弾く人はとても多かった。このコンサートを企画して最後にたくさん弾いたディさんは、自作品、そして昼間に会ったヴオングさんの曲を含む、ベトナムオリジナル曲をたくさん弾いた。それに対してまた観客の反応がすごい。ある曲などは、ディさんがそれを弾き始めた瞬間、待っていましたとばかりにいくつかの拍手が出た。演奏は荒々しいものの、感情がすごくこもっていた。

コンサート後はディさんのおごりでビアホイ(向こうの居酒屋)へ。実は彼、ギターが本業ではなくビジネスマン。一緒に飲みにきた、彼に習っている生徒さんによると、ディさんは精神的にも物質的にも、ハノイギター界のリーダーだそうだ。ところでこの飲み会、ボッティリエーリは通訳の可愛い女の子サンさんと話し込み、マシアーニさんは英語ができないため、私だけが英語の通じる生徒さんを介して、ベトナムの人たちと話していた。まったくイタリア人というのは、どこに行っても女の子を追いかける。彼らにそれを言うと「当たり前。だって他に何をする?」と言われるが(笑)。

結局その日は12時過ぎにホテルへ。まだ明日・明後日とコンサートが続く。

初日の感想:ベトナムギター界は非常に活気がある。ハノイビールがおいしかった。

一次予選通過と出版2006/06/20 01:59

今回初めて受けた大阪の日本ギターコンクール一次予選通過の知らせが来た。何とこのコンクールは、その知らせに通過者全員の名前と当日の演奏順がすでに書いてある。そしてそして、その中にはあの天才少年、藤元高輝君がいるではないか。藤元君と一緒にモイスィコス国際ギターコンクール本選に出た熊谷君の名前もある。それにしても、藤元君、君はもう国内コンクールはいいから国際コンクールを受けなよ〜、と思わず言いたくなった・・・。

これで8月の26,27日は大阪だ。演奏順は14人中12番目。せっかくだから他の人も聴きたかったが、聴いている余裕はないだろうな。向こうでは誰でも大阪弁を話しているのだろうか。楽しみだ。


さて、話変わって、久々の著書が明日から店頭に並ぶ予定。

「Word・Excel・Powerpoint印刷発注マニュアル」 工学社

ちなみにこの本、あちこちにくだらないギャグが一杯詰まっている。それをどこまで見つけられるか、そんな楽しみもあるので、この3ソフトのどれかひとつでも使っている人は是非購入して欲しいものだ。絶対役に立つことを保証しよう!

ベトナムギター漫遊記その二2006/06/26 10:10

ふー、やっとベトナム二日目の日記。

二日目は朝から国立音楽院へ。ボッティリエーリさんが、一番良く弾ける4人にレッスンをする。いわゆるマスタークラスというやつだ。14才のアン君がコユンババを弾き終わり、さあ、どんなレッスンになるのかと楽しみにしていたら・・・。マシアーニさんに向かって「他にも習いたい生徒がたくさんいるので、別室でレッスンをしてくれないか」というオファーが。しかし彼は英語があまりできない。ということで私も通訳として一緒に移動。ああ、ボッティリエーリさんのレッスンを聞きたかった。

5階にあがると、日本で言うと中学・高校にあたるコースの生徒たちが。そしてマシアーニさんが日本語でしゃべり、それを私が英語に、それをまた向こうの先生がベトナム語に、という怪しいレッスンが始まった(笑)。当然のことながら、なかなかうまく伝わらない。途中から日本語—英語変換は飛ばして、私も私なりの意見を最初から英語で言い出した。そしてマシアーニさんと私による共同レッスンが始まったのだ。人にレッスンをするなど約20年ぶり。

ところがしばらくすると、英語の分かる先生が「これから3人教えなければならない。でも彼女(と生徒の一人を指差しながら)も英語ができるから」と言って中座してしまった。その彼女、ハングさんは日常会話くらいは分かるようだが、音楽用語など何も分からない。レッスンは自然と、語るよりも弾く方へ。まず生徒が弾いているように弾き、「This, you. No good.」とわかりやすく言って、次にお手本を弾く。これでスムーズに理解してもらえるときはあったが、やはり言葉が必要なときもあった。

「ロシータ」「スペインの微風」「舟歌」など、初中級者には最適の曲が並ぶ中、「アラビア風奇想曲」とソルのOp.15の「ソナタ」を用意してきた子がいた。それくらいの曲になると、言葉でも結構伝えたいことがある。しかもその子の「ソナタ」の楽譜は、ものすごくかすれたコピー譜。生徒全員がオリジナルの楽譜を買うことができず、コピー譜を使用しているのは仕方ない。でも、これだけかすれていると臨時記号が見えないでしょう! 実際、その子はかなり音を間違って読んでいて、まずそれを直すことからレッスンが始まった。そのレッスンの最後に、「ソナタ」の途中にあるリピートの意味とか、この曲に関する全般的な情報を求められた。これを、英語のよくわからない人に対して伝えるのは結構難問だった。私が今まで英語を話すとき、いつも自分より相手の方が英語ができた。なので、私は私なりにとにかく伝えれば良かったのだ。しかしこのように英語がよくわからない人に対して、いかに分かりやすく話すかというのは、未知の体験だったのだ。この後も数日過ごして得た結論は、シンガポールイングリッシュという、簡単な単語を文法を無視して並べる英語の方が、誰にでもよく通じるということだ。

音楽院でのレッスンが終わると、夜の演奏会まで練習タイム。ベトナム・日本交流センター、略称VJCCで19:30からコンサートだ。ここで、開演少し前からスコールが降り出した。基本交通手段がバイクなので、これは集客にものすごく響く。結局15分遅れで始まったが、かなり空席が目立つ。

前半は、今回の企画を立ててくれたベトナムに住む日本人、渡辺さんが率いる四重奏(他3人はベトナム人)で「コンドルは飛んで行く」「スワニー川」、ベトナム・日本の民謡、その他、ベトナム人ソロによる「アストゥリアス」、ベトナム民謡などが奏でられた。その間に雨はやみ、客席はどんどん埋まっていつの間にか満員に。今回の旅行で3回のコンサートに出たが、いつも扉は開いていて出入りが自由だった。曲中であろうと、マイクを使用していなかろうと、そんなことは関係ない。こちらにはまだあまり静かに聞くという習慣がないようで、渡辺さんは、自分が真剣に集中して聞いているときに、いきなり「こんばんは」などと声をかけられて(もちろん曲中に!)若干困っていると言っていた。

休憩なしに続く後半で、私が「ゴリウォッグのケークウォーク」「タンゴアンスカイ」を弾いた。「ゴリウォッグ」はまだ弾き始めて日が浅いのでちょっと緊張気味、しかし「タンゴアンスカイ」でかなり緊張はほぐれてきた。その後マシアーニさんがダウランドの「ファンタジー」、トロバの「ソナチネ」、アルベニスの「セビリア」を弾き、トリはボッティリエーリさん。「コユンババ」と「メランコリア」「大序曲」を弾いてコンサートは終了。

コンサート終了後に行ったのが日本料理店。渡辺さんはベトナム人に日本料理を食べてもらおうとたくさんのオーダーをする。生魚を食べない彼らは、当然すしに対して警戒心がすごかった。それでも勇気ある女性が一口。だが彼女はわさびに撃墜された。「何これー。食べれない〜。ムリムリ!」ってな感じ。それでも果敢な男性たちがさらにチャレンジ。そしてエビをしっぽごと食べてしまったり、ご飯の側を醤油にやたらべたべたつけて食べたり。すし種の方をちょっとだけ醤油につけるのだとお手本を見せても、なかなかわかってもらえない。渡辺さんの日本食作戦は基本的に失敗に終わったようだ。それでも一番気に入ってもらえたのはカツ丼で、これは普通に受け入れてもらえた。ちなみにこの日本料理店の里芋の煮物は、完全に何か間違った味だった・・・。

ベトナムギター漫遊記3日目の一(実はギター以外)2006/06/28 02:06

昨日の夜から愛媛のギター製作家廣川夫妻が合流し、この日最初の予定は、彼がベトナム人たちのギターを診断するというもの。しかし、その予定は3人ともパスして、初めての落ち着いた午前中を楽しんだ。

7時頃朝食を食べ(なぜか早く起きてしまう)、その後ホテル周辺を散策。なお、ホテルのバイキングのお粥は非常においしく、5日中4日はこのお粥にした。あちらのお粥は日本と全然違う。出汁が全く違って、香り豊かなのだ。その上に香草その他の具を乗せると、これはもう、日本のお粥とは全く別の料理だと言っていいと思う。

ホテルの外に出てみると、この時間にたくさんの店が開いていることにびっくりした。ベトナム人は外で朝食をとるのが普通だと聞いた。だから、フォーやブンチャー(冷たい米の麺にタレをかけて、揚げ春巻きや香草などの好きなトッピングを乗せる)の食堂が開いているのは分かる。ただし一応断っておくが、食堂と入っても歩道に座席があるやつだ。その他に八百屋、果物屋、お菓子屋など食べ物関係は、朝早くから開いているのだ。さすがにインターネット喫茶、カラオケ屋、洋服屋などは開いていないが、食べ物を売る店は一通り開いていたし、近所のおじいちゃんたちは、朝も早くから卓球に興じていた。

その他に道ばたで肉や魚、野菜、虫などいろいろ売っていた。あの小さな幼虫は大きくなったら何になるのだろう、どうやって食べるのだろう、と興味津々。

ホテルでのんびりしてから、12時頃迎えが来る。ボッティリエーリさんはホテルで練習し続けるということで、マシアーニさんと私で、日本語学校の生徒ロアングさんの家に招かれて昼食会。パイナップルと牛肉の、ショウガが効いた炒め物がとても気に入った。これは帰ってきてすぐに作ってみたのだが、どうしてもイメージ通りにならない。やはりベトナムで売っている、甘さ控えめの小さなパイナップルであってこその味だったように思える。それからジャックフルーツという、ほとんど果物とは思えない果物もおいしかった。また、たまたまその家の近くに売りにきていた、直径40cmくらいの煎餅もなかなか素晴らしい。甘いもの、辛いもの、ごま味など一通りあったが、何と言ってもすばらしかったのはその大きさ! 逆に、大きいことを除けば、結構普通の焼き煎餅だったりしたが・・・。

その昼食会には日本語の先生がいて、若干たどたどしいが、日本語の会話が成り立った。その先生が食事途中で「これが自分の愛飲しているベトナムの酒だ」というのを出してきた。彼曰く、日本酒もおいしいけれど、その値段はこれ(ベトナム酒)の10倍くらいするのでとても買えない、とのことだ。マシアーニさんも私も、夜の演奏会を気にして控えめにハノイビールを飲んでいたのだが、この手の酒を勧められて断るのも悪い。とりあえず私は少しだけ味見をさせてもらうことに。アルコール度数は飲んだ感じ、確実に40度以上はある。もしかしたら60度くらいあるかも。中国酒のパイカルを思わせる味だった。パイカルの味を知らない人にあえて言うなら、これをたくさん飲んだら夜の演奏会は確実にダメになる、そんな味だった、とでも言っておこうか。

昼食会が終わると、次は建設大学のギタークラブへ。ここのギタークラブは非常に熱心らしい。大学構内の、外から直接入れる大教室で学生たちは待っていた。外の気温は推定34度。そこと壁一枚隔てただけのこの教室は、扇風機が回っているおかげで少しだけ涼しく感じる。そして交流が始まった。まず学生たちがギターを演奏する。音楽院の生徒とは違って、ここでは弾き語りも聴くことができた。また、初日のコンサートで初めて聴いた、ベトナム人だったら誰でも知っているという民謡に基づいた、そのときとは異なったアレンジも聴くことができた。このメロディーはかなり有名なようだ。

さて、その演奏の最中、主催者の学生は少しでも生の音をという思いでもって、扇風機を止めてくれた。そう。あの暑い外界と壁ひとつ隔てただけのこの教室で、親切なことに扇風機を止めて、その音を消してくれたのだ。そして「それでは日本の方、お願いします」という声がかかる。汗が止まらん! まず私が通りゃんせのジャズ風アレンジ、タンゴアンスカイを弾いたが、とにかく汗で滑る。私は7フレットに修正ペンで目印をマーキングしているが、それが溶ける室温だった・・・。

その後マシアーニさんもトロバを弾いたが、その間に後ろの学生が何か言ってきた。「name」と言っているので素直に名前を書くと、どうやらそれが望みではないらしい。ちょっとしたやり取りの末、向こうは紙の上にぐじゃぐじゃとペンを動かした。そこでやっと私は、彼がサインを求めているのだということに気がついたのだ。でも待てよ、サインなんて作っていない! 仕方ないので、何となく格好よく見えるだろうと思い、草書体っぽい漢字で名前を書いてみた。

次はギター製作家の家に。実は翌々日にベトナム最高級ギターの製作家を訪ねるのだが、このときは大衆ギターの製作家。今が旬だというライチをいただきながら、製作家の息子が弾くアストゥリアスを聴き、こちらも何曲か弾きながら、楽しいひとときを過ごした。ところでこのとき、彼の家のトイレを借りた。二階の家とは離れた一階のトイレに入ってみると、いわゆるポットン便所ではない。でも、水洗トイレにはつきものの、流すためのレバー・ボタン類もない。とりあえず用を足して、流しようがないので外に出て、どうやって流すのか聞いてみた。そうしたらアストゥリアスのホアン君は、いいから上に上がってくれと言う。そして彼は他の箇所から水を汲んできた。つまりこれでトイレを流すわけなのだ。うーん、なんとなく、大でなくてよかったと思える瞬間だった。

ホテルに帰ってちょっと落ち着くと、次は文化センターでコンサート。続きはまた今度にしよう。

ベトナムギター漫遊記3日目その二2006/06/30 22:58

文化センターはなかなか立派な建物だった。ここで今日、音楽院の生徒・先生、そして自分たちのコンサートが行われる。プログラムは次の通り。

トラン・トゥアン・アン
前奏曲ニ長調(チェロ組曲第一番より)/J.S.バッハ
Beo dat may troi/Dang Ngoc Long
さくら変奏曲/横尾幸弘

ブイ・ホング・タァチ
パッサカリア-ガヴォット-ジーグ/L.ロンカルリ

トゥラン・トゥラング・キェン
イギリス組曲/J.デュアート

ングイェン・クアング・ヴィン先生
タンゴアンスカイ/R.ディアンス
朱色の塔/I.アルベニス
ブエノスアイレスの夏/A.ピアソラ

広川憲二
サラバンデ/G.F.ヘンデル

冨山詩曜
アメージング・グレイス変奏曲/冨山詩曜

ルドルフォ・マシアーニ
ソナチネ第一楽章/F.M.トロバ
セヴィリャーナ/J.トゥリーナ
ハンスドン嬢のパフ/J.ダウランド

エルマンノ・ボッティリエーリ
コユンババ/C.ドメニコーニ
フリア・フロリダ/A.バリオス・マンゴレ
Moments live in my Memory/M.コロナ


音楽院のみんなの演奏を聞きたかったが、指がひたすら調子悪く、なんとなくぎりぎりまでギターを触っていたかったため、ずっと控え室にこもっていた。でもそこでキェンさんがアグアドの「序奏とロンド」を練習しているのを聞いたが、とてもしっかりしたテクニックだった。その彼が「イギリス組曲」をどう弾くのか。やはり聞くべきだったか。

ボッティリエーリさんがステージで演奏しているとき、控え室に戻るとマシアーニさんが、「あの女の人が何か英語で話しかけてきたんだけどわからなかった」と言って来た。その彼女。今回ベトナムで見た女性の中で一番美人だ。先ほどボッティリエーリさんとの会話を何気なく聞いていたが、彼女は「ある貴紳〜」を弾いたズング君の彼女らしい。なんと果報者なことか。学生の身でありながらIT企業に勤める、こんな美人の彼女がいるなんて。いったいどこで捕まえたのか。

というのはさておき、早速彼女に何を言ったのか聞いてみた。その質問は、演奏にマイクを使うことをどう思うか、ということだった。マシアーニさんも私も、マイクはギターの音質を変えてしまうから望ましくない、と言ったが、彼女はベトナムの現状を口にした。実際今日の演奏会にしても、前半は下の階で何か催し物をやっていて、その騒音がすごかった。しかも演奏会中扉を閉める習慣がないため、その雑音は観客に丸聞こえなのだ。できればマイクなしがいいとは言え、それでは外の雑音にかき消されて聞こえないというのなら話は別だ。私の演奏のときは、外の騒音はやんでいたが、それでも観客席からずっとさわさわという何気ない雑音が聞こえていた。

その他にも彼女とは、ギタリストの地位について話した。ベトナムも日本と同じように、プロギタリストの社会的地位は高くないようだ。でもこの先、本当にものすごく弾けるプロギタリストが出て来たら、当然その人は十分ギターだけで食っていけるだろう。中国でも世界的レベルのギタリストは手厚く扱われている。

演奏会が終わるとみんなでビアホイに。そこは音楽院の人たちお気に入りらしい。ここで、今日の楽譜が見たいというヴィン先生に対して、それをあげると約束し、二重奏の楽譜を探しているというズング君には、出版された自作の二重奏の楽譜を持って来ているから、明日会ったらあげると約束した。自分の曲がこれをきっかけに少しは広まってくれるのかどうか。もし弾いてもらえたら、それだけでもとても嬉しい。

ところでビアホイで不思議なことがあった。生春巻きをこれにつけて食べてみろ、とヴィン先生は言って来た。見ると、ヌクマムの上に緑色のものがとぐろを巻いている。辛いから注意して食べてと言われ、少しだけつけて食べてみた。そしてびっくり。緑色のものはわさびだったのだ! わさびはなかなか受け入れてもらえない日本文化のひとつだと思っていたが、なぜかベトナムの音楽院連中にはすでに受け入れられていたのだった。

ちなみにヴィン先生はなかなか陽気な人で、盛んに私に向かって、ベトナムに残ってギターを教えろと言って来た。ベトナムのいい娘を見つけたら、すぐ自分が空港に電話して、帰りの飛行機をキャンセルしてあげる、と・・・。

明日は音楽院の試験見学だ。