点鼻薬の副作用2009/04/01 23:51

一日に何度も市販の点鼻薬が必要となり、明け方にそれをしないと息が苦しくて寝てられない、ノドはからから、鼻血がよく出るとなったのは約半年前。それからフコイダンを飲み始め、今は点鼻薬をしない日が普通になって来た。そのため、ここで一気に、40年以上つき合った鼻炎を治してしまおうと、今日、生まれて初めて耳鼻咽喉科に行った。

そして得た、驚愕の事実。私の現在の症状のうち、一番重いのは点鼻薬の副作用だったのだ。

「点鼻薬性鼻炎」

血管収縮性点鼻薬を頻繁に使用していると、薬の作用が切れた時に血管が逆に拡張して、通常の状態の鼻の穴が非常に細くなる。10年ほどしょっちゅう点鼻薬を使っていた私の鼻の穴は、常人の1/7程度になっているそうだ。悔い改めないとダメだと言われてしまった。

具体的にどのように悔い改めるかと言うと

○市販の点鼻薬は使わない。
これはフコイダンのおかげで、もうすでにほとんどOK。

○10人中5人に効きそうな点鼻薬を出すから、それを吸入し続けなさい。
はい、続けます。

○蒸気を吸引する健康器具を買って、それを毎日やりなさい。
花粉症の季節だけに売り切れていたけれど、ちゃんと買ってやります。

○お酒をやめなさい。
うっ。そっ、それは・・・

ギター週間?2009/04/11 01:08

ギター週間が始まった。今日は坪川さんとクアトロパロス、明日は井上君、松田君、河野さん、日曜は高田、大場さん、月曜は休みで火曜日は益田さんのコンサート。そして、最後に水曜日は新学期最初の授業で6時半起き。どうしてもうちょっと間隔を開けてくれないのだろう…

今日は最後の、藤井眞吾さんの「パッサカリア」が気になっていたが、なかなかいい曲だった。バイオリンとソロギター、そしてギター5本で演奏されたが、本来バックのギターは6パートだったらしい。さらにこの編成のまま弾いたアンコール、ファリャの「スペイン舞曲第1番」も非常に良かった。テンポの取り方が、ちゃんと興奮を誘うように計算されている。

まあ、そんな演奏会を聞き、その後に出演者の皆さんと飲んで早速午前様。どうなる? 水曜日の早起き計画。

ギター週間のまとめ2009/04/16 00:40

今日の初授業でギター週間は終り。たくさんの刺激を受け、たくさんの酒を飲んだ・・・
いくつかハイライトシーンを書いてみよう。


金曜日:坪川真理子、小宮直(Vn)、クアトロ・パロス(高橋力、楠幸樹、萩野谷英成、斉藤泰士)、奥田勇喜

藤井眞吾さんの「パッサカリア」を初めて聴いたが、いい曲だった。それにしても、バイオリンとソロギター、そしてギター5パートによる伴奏などという曲がよくあるものだ。と思ったら、実はこの曲をやりたくて今回のメンバーを集めたらしい。しかも本来は、伴奏は6パートとのこと。ただ、今回はソロパートと伴奏の音量バランスが今ひとつだったのが残念。
最後にアンコールでこの編成のまま演奏した、ファリャの「スペイン舞曲」は非常に良かった。音楽の流れに沿ったルバートで、興奮に通じるテンポ変化が見事だったと思う。


土曜日:松田弦、井上仁一郎、河野智美

松田君の音色が多彩になって来たのが非常に印象的。約2ヶ月前よりも明らかに表現の幅が増えている。ただ、最近なぜか、何でもないフレーズでミスをすることがある。集中力がときどき薄れてしまうのではないだろうか。なんとか集中力を保って欲しいものだ。とは言っても、やはり彼は、他の2人より一歩抜きん出ていたと思う。

それはそうと、打ち上げで行った店のもつ鍋が絶品だった。。。


日曜日:大場悟史、高田元太郎

合わせものが非常に楽しかった。ソルの幻想曲op.54では、高田さんがかなりあおり立て、それを大場さんが受けて立つ感じの演奏。ちなみに2人は同門で、使用ギターも同じ今井ギター。それなのに音楽も音色も全然違っていた。2人の音色をあえて言葉にするなら

高田=伊達男
大場=一家を守る堅実な夫

というところだろうか。それぞれの音楽の方向性も、この形容に結構合っている気がする。ということは、音楽の方向性が楽器の音色を結構変えてしまうということか?
同じく二重奏で演奏されたヤコブ・テル・フェルトハウスの「Diapason」も非常に面白かった。これは若干現代寄り、というか、作者は完全に現代の人なのだが、大場さんにはこの曲が非常に合っている気がした。ひょっとして現代物が得意なのかと思っていたら、打ち上げで「大場さんの現代物以外の(ソロ)演奏は久しぶりに聞いた」との話が出た。ということはやはり、日頃は現代物をやっているのだろう。
ちなみに私は昔、かなり昔に大場さんに会っていた。昔、高田馬場に東京ミックというお店があって、そこに若いギタリスト達が集まって、それぞれが弾いて、その演奏に対して意見を言い合うみたいな勉強会があったのだ。大場さんともそこで会っていたようだ。絶対に会ったことがあるはずとは思いながら、どこでというのは思い浮かんでいなかったが、そこでなら十分にあり得る。

ちょうど打ち上げで、東京ミックにいたSさんと隣になり、当時のことをいくつか話して懐かしかった。変な裏話も聞いたし・・・


火曜日:益田正洋

たっぷりと重厚なプログラムで、久しぶりに最初から最後まで惹き付けられる演奏会だった。最初のバッハ、BWV1006では、ルーレでとても趣味の良い装飾音が聞こえて非常に心地よかった。全体に装飾音は結構考えられている。ただ、私個人としては、ここまで装飾音に造詣が深いのなら、ロンド風ガボットの主題を、出てくるごとに色々装飾して欲しかった。ブーレやジーグは、正にちょうど良いテンポ。ギターソロでこれくらい、音楽が要求しているテンポに忠実な演奏は少ない。それでも、そういったテンポで弾く人が、ごく一部の例外(山下君!)だった頃と比べると、現代は格段の進歩だ。私は以前、ギターの演奏を聞く度に、「ギタリストのテンポ感はなぜこんなに遅いのだろう」と思っていた。それが今や、曲の要求するテンポにギタリストのテクニックが追いついて来たと言える。
ただ、そういうバッハを聴いていると、「なぜギターで弾くのか?」という疑問も生まれて来た。このテンポで弾くならチェンバロの方がずっと楽だし、そのテンポでも装飾音を入れられるし・・・

バッハと言えば、シャコンヌを聞いて思ったことがある。当時はイネガルという習慣があって、こう言った記譜を複付点で弾いてもよかった。もちろんそうしなくてもいいのだが、そうしてもよい。要は、八分音符の連続をそのまま弾いてもいいし、スウィングしてもいいような違いだ。でも、これくらいの遅い音楽では、古楽の人ならたいてい複付点でとる。私がたまたま聞いたリュートやバロックギター、チェンバロの演奏ではそうしていたし、自分も複付点で弾く。なので、今回のように楽譜通りの付点だと緊張感がなく感じて、若干興ざめしてしまうのだ。今回の演奏が、両方の可能性を踏まえた上で、あえて楽譜通りというのなら仕方ないが、イネガルの可能性を考えていなかったとしたら、是非そちらも試して欲しいと思った。これからのギタリストは、楽譜通りとイネガルを両方試して、より気に入った方を選んでいって欲しいものだ。

後半のヴィラ=ロボスは、この日一番の演奏だったように思う。ブローウェルの「ソナタ」は、若干騒々し過ぎるのが気になった。これは解釈の違いにもなるが、あの曲は「静の速さ」が基本であって欲しい。でも、益田さんの速さは「動」。しかも沸騰寸前の「動」だったように感じた。と、なんだかんだ言っても、彼が現代における希少な、注目すべきギタリストであることは確かだ。


水曜日:今季初授業

学校に行ったら早速他の先生から、「ギターのすごくうまい子が入ったって知ってます?」と聞かれた。これはもちろん、あの彼女のこと。ただし、学校にギター科はないので、彼女はピアノ科として入学したそうだ。これを機に、高校・大学にギター科を作ろうという話になると面白いのだが・・・


こうして、ギター週間は終りを告げた。

教え子が2009/04/22 23:37

今朝、職員室に行ったら、最初に教えた生徒の一人Mが来ていた。思わず「何でここにいるの!」などと会話したが、こうして高校二年生となった彼女と話せるのは嬉しい。聞くと、早く来過ぎたら誰も教室にいなくてつまらなく、中学の職員室に遊びに来たそうだ・・・。

今までに単発の講演や授業はあちこちでして来たが、やはり1年間、2年間とつき合って来た生徒は違う。教え始めて最初の2年間こそ目立つ生徒しか覚えられなかったものの(Mは目立っていたのでよく覚えていた)、今は受け持った生徒全員の顔と名前を意識的に覚えようとしている。

こうして毎年、私の授業を聞いた人たちが増えて行くと思うと、教育というのは非常にやりがいがある仕事だ。目指せ、Siyohファミリー5000人計画!

ガンと代替医療、亡くなった友人、フルートとギター2009/04/28 02:29

音楽に造詣が深く、ギターと作曲をしていた友人Iが亡くなったのは13年前の今の季節。私は最後まで、彼がそんなにひどいガンだとは知らなかった。「見舞いなんか来なくていいから、治ったらまた遊ぼう」という言葉に応じて病院には行かなかったが、家に外泊するときに合わせて遊びに行ったりしていた。

彼は音楽を理解する力がとてもあり、初見にも優れていたので、二人で片っ端からいろいろな二重奏曲を初見弾きして遊んでいたものだ。ギターの方も、もう少しでプロになれそうなほどの腕前だった。あるとき、再び外泊していた彼に電話をしたとき、「また二重奏をしよう」と言うと、彼は涙ぐみながら「ええ、そうですね」と言った。おそらくそのときは、もう西洋医学ではダメだと分かっていて、最後の外泊だったのだろう。そして彼は、翌週亡くなった。

それが転機というわけではないが、それ以降だんだんと、心霊研究の延長として代替医療も研究するようになって来た。彼が病気になったのが今だったら、考えられるすべての可能性を示し、その上で何を信じてどう治して行くかを彼に選ばせることができただろう。しかし当時の私にはそんな技量はなかったし、当時はまだ、代替医療もそれほど進んでいなかった。

代替医療が進み、それに賛同する人が多くなった今でも、これを無視しようとする人がたくさんいる。それでもミネラルの大切さは、結構市民権を得て来ただろうか。私がミネラル飲料を初めて試したのは約10年前。ということは、その何年も前からミネラルの大切さを理解し、それを製品化しようとしていた人がいるということだ。それは確かに身体の調子を良くし、一度体調が非常に悪くなってからは何年もずっと飲んでいる。その間に「なぜこれが自分に効いているのか」を調べ始め、今は最新の栄養学もかじって、それなりに原理が理解できて来た。ただ、そうなってみると、今更のように出て来たコンビニのミネラルが、いかにお粗末なものなのか。自分の飲んで来た10年前の技術に、他はいまだに追いついていないのかということにあきれてしまう。

こうしたサプリメントは理解されにくい。いい例がアガリクスだ。あれが流行るだいぶ前、私は馴染みの薬屋さん(その頃は病弱だったので・・・)からいろいろと、アガリクスがどういう効果を及ぼすと考えられるかを学び、臨床研究の結果も特別に見せてもらっていたりした。ガンというのは免疫異常が原因。免疫機能が低下した結果、日頃から身体のあちこちで生まれているガン細胞が、NK(ナチュラルキラー)細胞で殺せなくなったりして、増殖して行くわけだ。その臨床研究では、それぞれの患者にアガリクスを飲ませたとき、どれだけNK細胞が活性化されているかが書かれていた。

それ以外にもたくさんの研究と治癒の結果があって広まって来たアガリクス。その地位が危うくなって来たのは、ほとんど有効成分など入っていないアガリクスを売っていた一部メーカーの責任。そして、どんな製法をしたのか、ガンを促進させかねない成分が一緒に入ったアガリクスを売っていた一部メーカーの責任だ。さらに、結局のところ何がどう効いているのかはまだ解明されていないと言う点も、不利な状況と結びついている。ただ、そんなアガリクスよりもずっと有効成分が少ないと考えられている椎茸が、抗ガン剤の中に入っているというのは不思議だ。

今は、アガリクスよりもずっと強力なフコイダンがある。日本の医学界にフコイダンが紹介されたのは1996年のガン学会だ。それ以来、ガン細胞の自己崩壊を促す、NK細胞を活性化する、ガンに栄養を与える新生血管の構築を阻害する、などの効果があったという研究報告が続いている。さらにこのフコイダンは、アレルギー(私の長年の鼻炎)、糖尿病、ピロリ菌など、かなり広範囲に渡って効果があったと言う研究報告が溜まっていて、現在、医薬品としての開発をしている会社もあるというのを、この前の金曜日に聞いた。

ただ、うまく医薬品になればいいが、海外でそうなっても、日本でそれを受け入れるにはまだ結構な年月がかかる。その間にろくでもない品質のフコイダンが売られていたら(もうすでにそういうのがあるかも知れない・・・)、医薬品認可は果てしなく送れるだろう。

そうなる原因はたいていメーカーだが、私は消費者にも責任があると思う。結局のところ、ほとんどの人が自分の目では確かめようとせず、世間の風評に則っている。医療関係のテレビ番組をたまに見ると、既存の西洋医療ばかりにしがみついて苦しんでいる様が放映され、なぜもっとたくさんの選択肢を試そうとしないのかと、しばしば困惑を通り越して憤りさえ感じる。そういう点で、亡くなった友人Iは話の分かる人だった。ちゃんと必要な情報を受け入れ、判断するだけの資質がある。彼の死期が近づいたのが「今」だったら、私も十分な話ができ、彼もそれを受け入れ、医者も、もう自分ではどうしようもないということで、そういったものを飲むのを許可したことだろう。その結果、彼は治ったのかも知れない。

でも、ここでひとつ注意したいことがある。人間には誰にでも病気を治す力が備わっている。その力が働かないのが病気だ。そしてこの力は潜在意識で管理されているため、表面上の自分からでは制御できない。この力の例として有名なのは「プラシーボ効果」。偽の薬を与えても、人によっては効いてしまうという効果だ。これは心霊研究の立場から言えば、明らかに人の思い込みによる効果だ。「その薬を飲めば治るのだ」と潜在意識レベルで納得していれば、別にそれがダミ−の薬であろうと、自己治癒力が高まって治してしまう。この逆もあり得る。「サプリメントなど効くはずはない」と、心の奥底から、潜在意識レベルで納得している人は、そういったものを飲んでも非常に効きにくくなるのだ。こういった人間の性質も、サプリメントをうさん臭く見せている要因の一つだろう。

最近特に、世の中には自分で判断しようとせず、他人が作り上げた風評に振り回されている人が多いように思う。とは言えそれも、自分の未熟な目で判断した結果を信用して行動した結果、騙されたことがあり、これからは騙されないぞという自己防衛本能の結果なのかも知れない。

Iの話に戻るが、彼の遺品を見せてもらっていたとき、ある書き掛けのギター曲があった。その曲には彼独自のセンスが非常に感じられたものの、作曲家として見ると、まだかなり幼いものだった。そのため私は、その発想を一部に利用して、フルートとギターのための曲を作ることにしたのだ。

その曲を現在、マイミクの人だけに公開している。この機会に、この曲が少しでもたくさん弾かれるようになれば嬉しい。