予言というもの2011/04/02 14:56

今回の災害を予言したと言えるのではないかという人が少なくとも3人いたり、この先に関して同じようなビジョンを視ている人が何人かいるという状況があり、予言というものについて文章を書いてみたくなりました。

ここでは、こういったことに正面から向き合って考えようとはしない人たち、いわゆる否定派に対しての厳密な書き方はしません。ここに書かれたことを素直に、ひとつの情報として受け取ることができる人たちだけに読んでもらえれば幸いです。

ここに述べることは、先人たちの研究、特別な感覚を持つ生者たち、死者と考えられる人たち、一度もこの人間界に生まれたことがないであろう存在たち、そういった情報ソースを偏見なく吟味し、それに自分自身の体験も一緒に考え合わせて得た結論です。

先に結論を書くと、こんな感じです。
○予言は、その性質がわかっている一握りの人たちだけの間で、その内容を共有するのがいいだろう。


まず絶対的な真実があります。意識は物に影響します。お時間のある方は下記を読んでみてください。
http://www.asahi-net.or.jp/~qr7s-tmym/ITC/Nenriki.htm

意識が物に影響するというのなら、当然皆の思考によってこれから起きることが左右されます。そして、現在世界中の人々、そしてもしかしたらすでに亡くなった人々、これらの意識をすべて考え合わせるとそれなりの未来図ができます。それが記述されているのがいわゆるアカシックレコードというものでしょう。これがどこにあるかというと、どうも本来のアカシックレコードは第四界にあるようです。通常、死んだ人が行く先は第三界です。そして第四界は、もう輪廻はいらない、もう人間界には生まれなくてよいと判断した魂が行くところです。アカシックレコードの本体はそこにあり、第三界にもそれの不完全なミラーがあるようです。

生きている人間で第四界までアクセスできる人はそうそういないはずです。つまり、たいていの予言は、第三界のアカシックレコードを参照して行なわれることになります。この場合、参照元自体の情報がすでに歪んでいるので、予言がより不正確になります。

一握りの第四界までアクセスできる、生きながらにしてこの世を超越しているような人が得た予言は、かなりの信頼性があるでしょう。ただ霊能力者、超能力者たちがその情報をどうやってとってくるかというと、私自身の体験も踏まえて考えた場合、五感以外で情報を得て、それを無意識のうちに五感で理解できる情報に解釈していると思います。その解釈の正確さはそれぞれの能力によって異なります。

例えば霊がいた場合、そこに何かがいるとだけ感じる人、ぼんやり何かが視える人、視えるけど話している言葉は聞こえない人、はっきり視え過ぎて人間と区別がつかない人まで、能力に応じて様々な段階の視え方があります。これは、同じ情報を受けていてもそれをどこまで正確に五感の情報に置き換えられるか、その能力の違いによるものではないでしょうか。なので、せっかく第四界までアクセスできても、五感に解釈する際に、情報にバイアスがかかってしまう可能性があるわけです。

このように予言というのは、それ自体に不確定な要素を多分に含む仕組みからなっているわけです。また、ここで仮に、ものすごく優秀な能力者が第四界のアカシックレコードから情報を取って来たとします。それにしても、これから絶対に起きる事柄ではありません。なぜなら未来は皆の意識が創り出すもので、常に変更可能だからです。

このような事情を踏まえて考えた場合、予言を下手に広めると、それによる悪影響が出てくることが予想されます。意識はそれが誰のものであろうと、目に見えないものは完全に否定するような人の意識でも、ものに影響します。正確に言うと、この影響力を持つのは潜在意識です。例えば誰かが災害を予言したとしましょう。それを聞いた人たちが、そういうことが起きたら嫌だ、とものすごくリアルに考えたとします。その場合、その人の潜在意識の中では、その災害が起きる有様がとてもリアルにイメージできていたりします。このように、潜在意識の中でリアルにイメージできた事柄は実現しやすくなります。つまり、予言を広めたことによって、それが実現しやすくなってしまう可能性があるのです。

そう考えると、災害予言というのは、未来を意識で変えることができるのを「知っている人」、もしくは「心の底から信じている人」、そういった人だけに共有されるのが一番だと思います。その情報を受けて、それが起きないように行動を起こせる、その準備ができている人たちだけで内容を共有しようというわけです。準備のできていない人にも広めることによって、実際にその災害が起きた場合には助かる命もあるかもしれません。しかし、その「広める」という行為そのものが、その災害を起こりやすくしてしまう可能性が大なのです。

ということで最初に書いた結論になります。最後に、15年ほど前、イギリスに集中的に関わっていたスピリットチームの一員の言葉を引用しましょう。

***
チームの一員であるマヌは何度も思考の重要性を説いている。彼はこう言っている。

「あなた方はすべて空間の中で振動しています。あなたが腰掛けるその椅子も、部屋も皆そうです。すべての振動、もちろんあなた自身の振動も、あなたの考えによって影響を受けます。」

 マヌは思考を「原因の源」、「生きているもの」などと評し、我々が「慎重に考える」ことがいかに大事かを強調している。

原子力委員会への意見書 下書き(1)2011/04/10 11:46

原発が本来危険なものだというのは誰でも認識しているでしょう。そのため、その危険なものを安全に使うために何をやっているかが問題となります。しかし今回の件で色々調べたところ、管理する人間側に多分な問題があるように感じました。


<福島原発の件>
福島第1原発を設計した東芝の元技術者、小倉志郎氏の記者会見によると、「1967年の1号機着工時は、ゼネラルエレクトリック社の設計をそのままコピーしたので、津波を全く想定していなかった」とのことです(北海道新聞)。確かに、密閉されていない地下に予備電源を置き、堤防の高さも低いその構造は、津波を意識しているとは言えません。一方、貞観地震の分析から、大津波の可能性が09年の耐震性評価のための専門家委員会で報告されています。また、地震や津波に備え、電力を必要としない「非常用復水器」が必要との技術者の指摘があったにもかかわらず、「(政府や東電には)現在の原子炉に新たな安全装置を取り付けるという議論はほとんどなかった」と諸葛宗男・東大公共政策大学院特任教授(原子力政策)が言っています(北海道新聞)。

大津波とそれによる非常電源全ての喪失は、完全に想定内と言えます。それが起きた場合、原子力安全基盤機構(JNES)の研究報告が、0.6時間後に核燃料が落下、1.8時間後に圧力容器が破損すると警告していました。さらに、そういった情報を元に吉井英勝議員が危険性を国会質問で取り上げています。ところが、班目春樹原子力安全委員長は現地視察のため4時間半も原子力災害対策本部を離れていました。そして10時間以上もきちんとした対応が成されていませんでした。

対応に至る経緯として、こう言ったやり取りも記録されています(Yahoo!ニュース)。
管首相「まず、安全措置として10キロ圏内の住民らを避難させる。真水では足りないだろうから海水を使ってでも炉内を冷却させることだ」
しかし東電側は、10キロの避難指示という首相の想定に対しては「そこまでの心配は要らない」、海水の注入には「炉が使い物にならなくなる」と激しく抵抗した。

注水に絡んで、東京都副知事の猪瀬直樹氏はこんな裏話もしています(Gendai.Net)。
「3月11日に地震があって、すぐに消防庁は気仙沼や千葉で燃えた石油コンビナートに向かいました。本来は知事の要請があってから動くのですが、要請を待っていたのでは間に合わないかもしれない。そこで、とりあえず向かわせて、知事の要請を待ったのです。福島原発にも向かいました。ところが、いわき中央インター付近まで行ったところで、総務省傘下の消防庁から『来なくていい』という連絡が入った。消防庁の判断というより、上からの指示でしょう。やむなく消防隊員は引き返したのです」

今回の対応に関しては、異常事態のためすべてが後手にまわってしまったというかもしれません。ただ、原発のように危険なものを扱う以上、そこまで考えた安全管理がなくてはならないのではないでしょうか。それ以外にも、今までにたくさんの不手際はありました。


<隠蔽や融通の利かない仕組み>
例えば、1995年に発生したもんじゅのナトリウム漏洩火災事故について、事故現場の様子を撮影したビデオを都合の良いように編集して発表し、元々のものは隠していたことが後に発覚したのは周知の事実です。その際に自殺したとされる旧動燃総務部次長西村氏の死因に関して、数々の不明点があり、いまだにその真相は分かっていません。ここには、一企業を超えて、国を含めた隠蔽体質が伺われます。

同じく旧動燃は、東海村臨界事故において危険な注文をした事実に対して、巧妙に論点をすり替えました。この危険注文の背景が明らかになったのは3年後の02年です。JCO弁護団は刑事裁判最終弁論で、JCOは「臨界安全管理を考慮して」「1ロット1バッチで生産したい」と申し入れたにもかかわらず、動燃がこれを拒否したので、1ロット40リットルになった経緯を述べました。「1ロット1バッチ」にしなければ臨界の危険があるということは、政府も動燃もJCOも知っていたはずです。それなのに「なぜ動燃は事実上不可能な注文をしたのか」ということが論じられずに、政府の最終報告書は動燃の責任追及をしないことにしました。

07年の新潟県中越沖地震の際、東京電力柏崎刈羽原発において、「放射能はまったく漏れていないので安全だ」との東電の初期発表が覆されて来たのは、CNNやネットが騒ぎ出してからやっとです。東電は同年1月31日、全17基の原子炉のうち柏崎刈羽原発など13基で、199件の法令違反を繰り返していたと発表したばかりでした(朝日新聞他)。

北陸電力は、1999年に起きた志賀原発1号機の臨界事故を07年3月15日に初めて公表しました(http://www.rikuden.co.jp/shika1rinkai/index.html)。発電所長ら幹部が協議して事故事実を運転日誌に残さず、国や地元自治体への報告も行わなかったとのことです。こうした隠蔽以外にも、国の管理体質に問題があることが、次の事例から伺えます。

中部大学武田邦彦教授が、「増刊!たかじんのそこまで言って委員会」において、自身がウラン濃縮研究所所長であったときの体験を語っています。配管を改装するにあたって、その設計を経産省の原子力安全・保安院に提出し、これは認可されて実際に設計しました。しかし半年ほど経って、武田氏は一カ所、設計のまずい部分を見つけました。その設計だと、事故が起きた際にウランが海に排出される可能性があったのです。当然、武田氏は所長として、このような事情だから直したいと打診したのですが、返事は「国が認可したものだから、その配管を取ってはいけません」というものだったと言います。

原発を管理・運営する機関はすべて、再編成をしなければならないでしょう。そこには利権の絡まない、何か透明な仕組みが必要です。今は新規原発などと言っている場合ではなく、できてしまっている原発を如何により安全に操業するかを真っ先に考えなければなりません。さらに、そういった安全面をクリアしたとしても、低線量被ばくの無視できない問題があります。
(4.23 一部訂正・補筆)

原子力委員会への意見書 下書き(2)2011/04/23 14:20

<低線量被ばく論議の根本的な問題点>
低線量被ばくに関してたくさんの人が研究しているにもかかわらず、いまだその全貌は把握されていません。しかし私には、すでにかなり分かってきているのに、それを意識的にかき回している人たちがいるために、いつまでも議論が長引いている気がします。

低線量被ばくには問題がないと言っている人たちの文章を見ると、あまりよく考えないで書かれたように見えます。例えば1986年4月に起きたチェルノブイリの放射性物質を含む雲からの雨が降った、いわゆる放射性降下物があった地域で1986年の出生率が大幅に減った事実があります。これに対して長崎大学の山下俊一氏は「汚染地域での出生率は低下しています。その理由となる背景には、事故後数千というレベルの人工中絶が増加したことによりますが、出産に対する高度の不安や産児制限目的の医学的堕胎も増加しています。」というように説明しています(http://www.med.nagasaki-u.ac.jp/interna_heal_j/chernobyl-3.html)。確かにそういったこともあったのでしょう。ただそれだけでは、合衆国太平洋岸南部諸州の1986年6月の乳幼児死亡数が、前年の6月と比べると28%増加した事実を何ら説明できません。この事実は合衆国の統計学者ジェイ・M・グールドが共同研究者であるベンジャミン・A・ゴルドマンと一緒に書いた本「死にいたる虚構」(PKO法『雑則』を広める会 発行)に載っています。本の言葉を借りると「乳幼児死亡率は1,000人の新生児出生数のうち最初の1年に死亡した乳幼児数で定義されるが、公衆衛生状況を示すもっとも鋭敏な指標の一つである。」とあるので、これは出生率とは関係ありません。またこの本では、野鳥の研究者たちが、この年、陸鳥の繁殖のこれまでになかったほどの大幅な減少を報告していることが引用されています。鳥たちも自主的に育児制限をしたのでしょうか?

原子力発電所、もしくは再処理工場の近辺で、低線量被ばくの影響を研究した例がそれなりにあります。通常状態でも原子炉よりたくさんの放射性物質を生み出す再処理工場に関しては、その関連性こそ否定されているものの、近隣において小児白血病が増加しているとの報告があります。例えばブリティッシュ・メディカル・ジャーナル誌に1996年10月28日に受理された論文があります(http://www.bmj.com/content/314/7074/101.full)。それによると、フランスのラ・アーグ再処理工場の10km圏内において、1978年から98年の期間に居住していた人々の中で白血病が5件発生しています。これは理論的に考えられる2.3件と比べると倍以上の発生件数です。これを5歳から9歳のグループに限ると、今度は白血病の理論的な発生件数0.47に対して、実際は3件が発生し、通常の638%の確率で発生していることが報告されています。この論文では、小児白血病と再処理工場から漏れてくる環境放射線との関連について、何らかの説得力のある証拠がこの地域にあるとしています。
イギリスのセラフィールド再処理工場では、1997年英国保健省が未成年者の歯の分析調査をしました(http://en.wikipedia.org/wiki/Sellafield)。それによると、セラフィールド近くに住む子どもの歯には、そこから160km以上離れたところに住んでいる子どもの歯と比べて、倍以上のプルトニウムが含まれていることが判明しました。セラフィールドでは、白血病の増加が再処理工場と因果関係があるのかどうか、ずっと問題になっています。敷地から3kmほどのところにあるシースケール村は人口約2000人で主に再処理工場労働者が住んでいます。地元TV局が再処理工場の取材に入った際、その村において1956〜83年の間に22歳以下の白血病が7件発生していたことを確認しました。その白血病発生率は、イギリス平均の10倍に相当します(http://cnic.jp/modules/smartsection/item.php?itemid=35)。
平常時ではない、事故によって放射性物質が漏れている状態の原子炉について、その線量がとても人間に影響するとは考えられない量であっても、乳幼児死亡率が非常に上がったという報告が「死にいたる虚構」にあります。それとは別に、2007年12月、ドイツの環境省(連邦環境・自然保護・原子力安全省)と連邦放射線防護庁は、「通常運転されている原子力発電所周辺5km圏内で小児白血病が高率で発症している」という内容の調査研究成果を公表しました(http://www.cnic.jp/modules/smartsection/item.php?itemid=122)。2000年4月27日の東京新聞には、合衆国で1987年から97年までの間に閉鎖した原子力発電所を対象に、半径80km以内に居住している乳幼児死亡率について調べた結果が載っています。そこでは全米平均の改善率よりもはるかに高い改善率が見られ、最大で、閉鎖前と比べて54.1%減ったことが記されています。

それでも、これらの出来事は公には、低線量被ばくのせいではないと言われています。それはなぜなのでしょうか。「死にいたる虚構」では、「原子力施設や核兵器施設から低線量放射線の漏洩が起きると、その後に決まって多数の『過剰死亡』が観察された」と述べられています。この本で述べられているのは、統計的に偶然以上の確率で起きていると判断される事柄のみです。

この答えは、英国保健省のセラフィールドに対する調査報告に、端的に現れています。半年あまりの調査後、1984年の7月に発表された報告書では、「シースケールでの子供の白血病発生率は明らかに大きい。しかしながら、放射能放出による被ばくで予測される白血病増加は0.01〜0.1件にすぎず、セラフィールドからの放射能が白血病の原因とは考えられない」としています。結局大多数の研究者にとって、「このような低線量の被ばくでは人間にそれほどの影響が起きるはずがない」という結論が最初にあるのです。そして、その仮定が本当に正しいのかを再調査せず、その「あらかじめ決めておいた結論」に見合う、多少無理な説明を考え出すのです。

低線量被ばくはないとする報告書の中には、意図的とも思われる統計操作が見受けられる場合もあります。私自身、大学で確率・統計を卒論の材料に選びましたが、統計はその条件を考慮に入れないと、いくらでも誤解を生む結果を生み出せます。逆に、意図的な条件を設定すれば、常に調査者にとって都合の良い結果を出せる、違う言葉でいえば「素人に対してはいつでも嘘の印象を与えることが出来る学問」と言えます。例えば、低線量放射線の健康影響の資料として、(財)体質研究会による高自然放射線地域研究(http://www.taishitsu.or.jp/genshiryoku/index.html)がしばしば引用されています。これはひとつの研究として非常に筋の通ったものですが、低線量被ばくの資料として持ち出すのには全く適切ではありません。なぜならこの研究は、世界の高自然放射線地域に何世代にもわたって住み続けている人々を対象に行なわれているからです。高自然放射線の影響を低線量被ばくと関連づけるのなら、他の低自然放射線地域から高自然放射線地域に移り住んで20年以上経つ人と、元の地域にずっと住んでいる人を比べ、そこから一般的な環境変化に対する影響を除外して、それで比較しなければならないのは明らかです。ところが、反対論者には最初から結論があるので、そこまで踏み込んで調査しないのです。これは原爆症認定訴訟にも言えます。

原爆が落ちたときにそこにいなくても、後日その場所に行き、放射性物質を体内に取り込んで被ばくしてしまった人たち、「入市被爆者」がいます。従来これらの人たちは、原爆症認定されませんでした。なぜなら国は、それらの人たちが被ばくしたと推定される線量は低すぎるため、それが原因で病気になるはずはないと考えていたからです。そして、実際に起きているたくさんの訴訟について、その原因関係を詳しく調べようとしませんでした。しかしその認識が変わりつつあります。大阪高裁では2008年5月30日、前出の「死にいたる虚構」など、原告から提出された膨大な資料をもとに、今までは生体に影響しないとされていた低線量被ばくであっても、体内に入り込んだ放射性物質による継続的な持続被ばくの結果、免疫細胞が障害を起こし、致命的な病気になり得ると判断しました(判例平成18(行コ)58)。


<低線量被ばくの対応>
原子力発電の安全を考えるうえで「疑わしきは罰せず」の姿勢は好ましくありません。むしろ「疑わしきは罰する」べきです。今までの研究で見えてきているだけでも、原子力発電所周辺のそれなりの区域において、妊娠している女性、乳幼児、すでに免疫系の病気にかかっている人たちを、研究がさらに進んではっきりしてくるまでは原則立ち入り禁止にするべきだと思います。その上で低線量被ばくの研究を国家単位で大規模にする必要があります。なぜなら、この研究にはどこから来たどんなものを飲食しているのか、という要素が欠かせないからです。国家単位での流通、放射線検査管理が必要です。さらに風向きと降雨量も調査しなければなりません。

市民団体「母乳調査・母子支援ネットワーク」が独自に母乳を民間放射線測定会社に送り、その結果を4月20日に発表しました。それによると、下記の量のヨウ素131が1kg中に検出されています。
宮城、福島など在住の5人 未検出
千葉県在住 36.3ベクレル
茨城在住の3人 6.4/8.7/31.8ベクレル(31.8ベクレルの人は6日後の再検査で8.5ベクレルに低下)
これに対して厚生労働省は、「現段階では、母乳に含まれる放射性物質に対して、明確な安全基準はないが、検出結果はいずれも、水道水に対する放射性物質の規定値内にある」との認識を示しています。一方「死にいたる虚構」で紹介されている、チェルノブイリの放射性降下物によるミルク中のヨウ素131の量と、その周辺の成人、乳幼児死亡数との関連が、もし仮に今回においても成り立つとするなら、この母乳で育てることは十分危険と言えます。本には「太平洋岸地域、主としてカリフォルニア州、ワシントン州はミルク中のヨウ素は最高(44pCi/l)を示し、また全死亡数も最高であった。」と記述されています。ここでは1985年5月と比べて、1986年5月における該当地域の死亡数増加率について述べられていて、該当地域の増加率が5%程度であり、各地の死亡率の変化とミルク内のヨウ素の検出量が対数的に対応していることが示唆されています。44pCi/lをベクレルに換算してみると、それはほんの1.628ベクレル/lであることが分かります。
ここでいたずらに危機感をあおるのは本意ではありません。また、日本人は伝統的にヨウ素を多量摂取している民族であることを考えれば危険性は薄まると言えるでしょう。とはいえ、もう躊躇している段階ではありません。一刻も早く統計的手法を用いて、過去の漏洩事故とその時期の死亡率の変化を調べ、その情報を公開するべきです。それらが関連しているかどうかを問題としては行けません。単なる資料として、国民が見やすいように公開する必要があります。その資料はもちろん、年齢別でなければなりません。日本国内だけでもすでにそれなりの漏洩事故が起きているのですから、それらすべてをまとめて考えたときに新たに見えてくることがあるでしょう。
スリーマイル島の事故、チェルノブイリの事故において、合衆国ではその研究に必要なデータの開示を拒んだり、初期データの開示後しばらくして改ざんの可能性が非常に濃いデータが改めて公開されたりしています。日本ではそのようなことなしに、しかも積極的に情報を公開していくべきです。これは原発政策を進めて行く上での責務です。


<低線量被ばくと内部被ばく>
低線量被ばくの場合、そのしきい値はないのではないでしょうか。ペトカワ氏その他の研究から、低線量による内部被ばくと、X線や高線量放射線による外部被ばくとでは、その作用機序が全く違うと考えられます。低線量被ばくの一番の問題はフリーラジカルと考えられますが、ペトカワ氏は高線量で被ばくしても、そこで生まれた多量のフリーラジカルはむしろ互いに不活性化し合い、低線量の時ほど効率よく血液細胞の細胞膜に到達しない傾向を述べています。これは極低線量で現れたその被害らしきものが、その線量が上がってもほとんど拡大していない事実をうまく説明できる説のひとつでしょう。
もちろんフリーラジカルは普通に暮らしていてもしょっちゅう体の中で生まれています。熱したマーガリンを食べても、ポテトチップスを食べても、たばこを吸っても、ストレスを受けただけでも発生します。そして発生したフリーラジカルは、それに対する防御がうまくできなければ、確実に細胞を壊していきます。それでも、例えばタバコが禁止にならないのは、タバコは寝る間も惜しまず、全く間隔を開けずに吸い続けるものではないからでしょう。一方、内部被ばくしている場合には、体内の放射性物質が24時間中、その周りの細胞にフリーラジカルを発生させ続けます。

低線量被ばくの影響を常に少量ずつ生まれ続けるフリーラジカルと考えるのなら、そこにはそれなりの対策が出てきます。人が元々持っている、このフリーラジカルに対する防御機能を高めるために何をやればいいのか、今の科学ならそれは出せるはずですし、定着してしまった放射性物質を、他の物質と反応させて排出するといった技術も開発可能なのではないでしょうか。
低線量被ばくに対して、国家レベルでの系統だった研究を組織する以外に、現在可能性の高い範囲での対応策を研究し、そしてその効果の検証に今すぐ取り組むべきだと思われます。なお、その研究に基づく安全度の発表は、安全か危険かの二択ではダメです。危険度のレベル基準を設け、それを発信するようにするべきです。例えば、乳児には100ベクレル以上の放射性ヨウ素が検出される水道水を飲ませないようにする通知がありました。ただ、乳児に対して危険と言ってもそれが、ヘビースモーカーの家に一緒に住むくらいの危険なのか、始終タバコの煙を吹きかけられるくらいの危険なのか、インフルエンザの人に抱かれるくらいの危険なのか、もしくはそれ以上の危険なのか、それがわかるような指針がなければなりません。それなしにこのような情報を広めたところで、買い占めなどのパニック行動を誘発し、いたずらに不安感を募らせるだけです。


<原発は縮小に向かうべき>
原子力発電は、それを安全にするためのコストが非常にかかります。また、今回提言しているような安全対策の他にも、原子炉を廃棄するときの費用、使用済み核燃料を管理するための費用など、原発政策を続けるための費用はその建設費の何倍かかるかわかりません。だいたいにおいて、使用済み核燃料を安全に管理していくための決定的な方法はまだあると言えません。白金族元素の堆積問題を解決し、ガラス固化技術が完成する日は来るのでしょうか。地層処分は決定的な方法となり得るのでしょうか。地下水に放射性物質が流出してしまう可能性を本当に排除できるのでしょうか。
私個人の意見としては、使用済み核燃料の放射能を中和する方法が生まれない限り、本当の処分とは言えないと思います。現在のような、放射性物質を密閉して人のいない場所に隔離する方式では、今までの原発の歴史を見る限り、危険を知りながら実用化させ、いずれ大事故に発展する気がしてなりません。
プルサーマルなどによる再利用はさらにコストがかかり、安全に操業することがひときわ難しい再処理工場、さらにやっかいな放射性廃棄物を生むだけです。これまでの原子力政策をそのまま進めて行った場合、短期的には恩恵がありますが、長期的に見れば国家が徐々に疲弊していくだけだと感じますが、その考えは間違っていますでしょうか。

スウェーデンはスリーマイル島事故の翌年、2010年までに原発を撤廃する計画を建てました。しかし現在までに停止できたのは全12機中の2機であり、代替エネルギー開発の難しさがよく分かります。それでも、その研究が自由にできるよう、原発推進派からの邪魔が入らないように、資金も潤沢に使えるように、そういった支援を国家レベルで、原子力政策の一環としてするべきです。こうした代替エネルギーに向かいながら徐々に原子力発電を縮小して行かなければ、本当の意味での豊かな国家は得られないでしょう。


<総括>
意見が散逸しないようにここで基本的なポイントをまとめさせていただきます。
○新規原発設置は停止
○既存原発を安全に使うための政策が必要
 a. 現状の機関はすべて解体・再編成する
 b. 隠ぺいなどが起きないよう、利権のからまない監査機関が必要
 c. 低線量被ばくについての、真の意味で科学的な国家レベルでの研究が必要
 d. 統計学の観点から見られる低線量被ばくリスクを積極的に調査・流布する
 e. 低線量被ばくの現研究成果から伺えるリスクに合わせた対応策を即、研究・実施する
○原発は縮小へ
○代替エネルギー研究も、原子力政策の一環としてやる
(4/29訂正・補筆)

原子力委員会への意見書 下書き(3)2011/04/24 01:32

<補足>
今までの議論とは別にすぐに止めなければならない原子力発電所が2つあります。浜岡原発は下記のような理由ですぐに止めるべきと考えます。

●地震調査研究推進本部は2011年1月1日、M8.1前後の東南海地震が今後10年以内に発生する確率を20%程度、30年で70%程度、50年で90%程度と発表している。東海地震単独での予想はいくつかの仮定をしなければならないとしながらも、M8程度の地震が今後30年以内に起きる確率を87%としている(http://www.jishin.go.jp/main/choukihyoka/kaikou.htm)。
●中央防災会議が国としての評価を「東海地震に関する専門調査会報告」(2001年)として公表しており、中央防災会議はこの報告の中で、東海地震がいつ発生してもおかしくないとしている。
●浜岡原発は、想定されている震源地の真上に建っている
●2009年8月に駿河湾で発生したマグニチュード6.5の地震で、4号機と5号機が自動停止。この規模の地震にも関わらず5号機では約250本ある制御棒のうち約30本の駆動装置が故障した。
●原子炉設計に携わった谷口雅春氏が、「データを偽造して地震に耐えうることにする」との会議に立ち会ったと告発している。2005年の原子力安全・保安院の調査によってそのような事実があったとは思われないとされたが、疑惑が完全に消えたとは思えない。
●4号機の建設時に、アルカリ骨材反応に係る試験成績証明書の偽造、サンプルすり替えによる試験成績証明書の詐取が行われていることが明らかになった。5号機においても同様の骨材が納入された可能性は高い。


高速増殖炉もんじゅは下記の理由で止めたいと考えます。
●通常の原発でも安全に運営できているとは言えないのに、より技術的に難しい高速増殖炉に挑むべきではない。各国でのナトリウム漏れ以外にも、フランスのフェニックスでは原因不明の出力異常があり、その原因は未だに解明されていない。
●プルトニウムの毒性はウランより非常に大きいと考えられる。
●プルトニウムを輸送する必要があり、その警護が大変であるとともに、事故が起きたときの危険性が非常に高い。この輸送が常磐自動車道・首都高速道路・東名高速道路・名神高速道路・北陸自動車道を用い、特別な交通規制もなく行なわれて来たのは信じ難い。
●先進国はすでにこの技術から撤退している。
●1995年のナトリウム漏れ以来、稼働したのはほぼ3ヶ月だけでほとんど動いていない。それでも2009年の財務省発表によると、運転停止中の維持管理だけで2300億円、年間200億円前後、1日当たり5500万円の国費が投入されている。
●現在の炉内中継装置引き抜き対応を見ると、各種の事故に対する対応策がまんべんなく用意されているとは思えない。
●高速増殖炉の成立には、原発よりも近隣住民、そして地球環境に対して危険度が高いと思われる再処理工場が必要。

この二カ所の早期廃止から始めて、徐々に原発を減らしていく方向で、今までに述べてきたような政策を展開していくべきだと考えます。


ふー、これでとりあえず完成とするか。

作品6(ソプラノとピアノ)2011/04/30 21:58

原発のことを書きながらも作曲はしています。最近は4パートのギター合奏による「東日本2011〜鎮魂歌」、ギターソロの「祈り〜東日本2011」を作りました。ちなみにこのギター合奏曲はこの日に初演される予定。

富川ギター教室 重奏の会
2011年6月25日(土)
15時開演予定
会場:雑司が谷音楽堂(副都心線 雑司ヶ谷駅徒歩5分)
出演:富川勝智、尾野桂子、富川ギター教室門下生
入場料1000円は震災のために全額寄付予定

この次は、震災に絡んだポピュラー曲を書こうと思っています。

それはさておき、今日はやっと作品6の紹介です。私の唯一の歌曲。知人から「切ない愛の歌」を書いて欲しいと言われて書いたものです。歌曲は後にも先にもこれ一曲。自分でも結構気に入っています。

音源はこちら。
http://www.asahi-net.or.jp/~qr7s-tmym/secret/4873h846s.htm