GWとは2010/05/01 08:41

時間を気にせずに、自分のペースで仕事を出来るとき。



ふっ、



悲しいぜ…



でも、明後日のクラシカルギターコンクールは聞きに行く。あっ、それも仕事か…

今年のクラシカルは、あちこちで活躍が目立つ人たちがたくさん出ている。今年の一位は、ひときわ価値があるだろう。楽しみだ。

クラシカルギターコンクール2010/05/04 21:11

現代ギターの記事と被らないように、ここはあえて独断的に書いてみよう。

第2次予選課題曲の郷愁のショーロの原題は《Choro da saudade》。「Saudade」という単語は、日本語で言えば「郷愁」が一番近いのかも知れない。しかし本来は、とても複雑な意味を持った言葉だ。強いて、この言葉の意味になるべく忠実に日本語タイトルをつけるとしたら《過去の幸せな日々を思い出して、昔は良かったとあこがれ混じりの幸せに浸ったり、それが望んでももう手に入らないことに切なくなったり、悲しくなったりするショーロ》というところだろうか。この郷愁と喜びを、両方表現出来ている人はほとんどいなかった。たまに郷愁をすごくよく表現出来ている人がいると思ったら、それは単にビビって消極的になっているだけだったりする。

二次予選の中で惜しかった人たちの、私なりの点数を紹介する。基準としては、可もなく不可もなく、技術的には問題なく弾けて50点というところ。それぞれの人に何があったのかは、現代ギターの次号にて。

斉藤泰士 70
前田司 65
山田岳 59
藤原盛企 58
遠藤峻 57
水谷允彦 56
飯野なみ 55
小暮浩史 55
金子麻 54
五十嵐紅 53
伊藤兼治 53
林祥太郎 52
大西洋二郎 52
林信太郎 51
谷川英勢 50
船津ひろみ 50
多治川純一 50

本選にはこのリストの上位4人+小暮、多治川が残った。山田はとてもよかったのに、大きなミスをしてこの点数まで落ちて来た。今回、斉藤、前田、山田と他の人たちとは、根本的な技量にかなり差があったと言える。

そして本選の点数は、それぞれ課題曲、自由曲を100点満点として
山田岳 72+80=152
小暮浩史 55+68=123
前田司 55+62=117
藤原盛企 56+50=106
多治川純一 47+53=100
斉藤泰士 25+45=70

実際の結果もこの順番通りだった。今回は山田の一人勝ちだ。魔笛がまともに弾けていたのは彼だけと言える。また自由曲のポンセ「ソナタ第三番」は圧巻だった。見事だと思える演奏はそれなりに出会うが、感動出来る演奏には数年に一回しか会えない。思わず「ブラボー」と声を上げたくなるほどの演奏に今回出会えて、とても嬉しかった。彼には現代曲ではなく、こうしたレパートリーをもっともっと弾いて欲しいものだ。
他の人たちには皆、何か足りないものがある。しかし逆に言えば、それさえ埋めれば一位になれる可能性があるということだ。でもこれ以上はここでは書かないことにしよう。

古典と和声学2010/05/05 11:22

実は私は、古典をあまり好きではない。モーツァルトも基本的に嫌い。ただし何曲か好きな曲はあるが。それでも、どう弾けば古典らしいと言えるのかは知っている。それは和声学を学んだからなのかも知れない。

和声は自然発生的に考えると、決して古典派のようにはならない。ルネッサンスの和声はどちらかとダイナミックで、荒々しいときがある。もちろんそこで7以上の和音が出てくることはそうそうないが、平気でものすごく遠い和音をつなげたりするのだ。また調性も、短調と長調だけの世界ではない。その世界が後に対位法的に発展し、結構ぐちゃぐちゃになりかけた和声に対して「こうするのがシンプルで趣味が良い」というルールが確立されたのが古典期ではないだろうか。

その後また、「そんなガチガチのルールは嫌だ!」と唱える人が多くなり、古典派ルールはどんどんと拡張され、そして最後には何でもありの世界になった。するとやはり、「少しはルールがあった方がいいんじゃない」という感じになって、ルール無用の人たちと、最低限のルールに従う人たちとが混在しているのが現代なのかも知れない。

和声学を学ぶときに、私が習っていた工藤一郎先生はこう言っていた。

「これを学んでも曲を作れるようにはならないよ。ただし、センスは磨かれる。」

演奏家を目指す人で、西洋音楽的な解釈を身に付けたい人は、絶対和声学を学んで欲しい。そこには、西洋音楽の伝統が詰まっている。今回、クラシカルギターコンクールで「魔笛」を聞いていたら、そんなことを思った。

最近の右手の治りは加速度的だ2010/05/09 20:18

昨年の治る度合いに比べると、ここ2ヶ月は5倍くらいの速さで良くなっている。で、だいたい9割くらいのパターンは、ギターを止める前以上に動くようになった。しかも秘密兵器なしで!

残り1割のパターンは例えば、pamiのパターン。これだけならかなり速く出来るが、何か他のことを弾いていてその後にこのパターンが来ると、ものすごくiの指がこわばって速く弾けない。でも、3週間前まで全然弾けなかった、和音を弾いた後のiから始まるimによる下降スケールがもうかなり問題なくなって来たので、このパターンもすぐに大丈夫になるだろう。

こんな風に、弾けないパターンというのはものすごく限られて来ている。上降スケールなら問題ない。下降でもiaなら大丈夫。mから始めればimでも大丈夫。ところが、iから始めてしまうととたんに、他のパターンの半分くらいの速度でしか弾けなくなる。面白いのは、その前3秒ほど何も弾いていなければ、このパターンにも問題がないこと。しかし、和音を弾いてからそれをやろうとすると、半端なく指がこわばる。それが克服出来て来たのは、iの指をひたすら観察し、それに見合った練習をしたからだろうか。

とは言え昨年も、それほど的を外れた練習をしていたとは思えない。ただ昨年は、いざとなれば秘密兵器を持てば良いという甘えがあった。それが、秘密兵器を持っても弾けなくなって来て、ほどよい危機感が生まれたのだろうか。ここ一週間ほどはついに、よほど限られた動きでなければ秘密兵器を持たない方がちゃんと弾けるようになって来た。


正直、嬉しい。


やっとギターが弾けるようになって来た実感がある。


このまま、再びブリザードが吹かず、雪崩も起きずに治って欲しいものだ。でももはや「治る」という言葉はふさわしくないかも。ギターを止める前にどうしても出来なかった指の動きは、ほとんどすべて出来るようになって来たから。今出来ないのは、その頃何も考えずに簡単に弾けていた動きばかりだ。それが出来るようになって来たとき、再デビューリサイタルでもしようか…。ただ、焦りは禁物だ。

今しばらくは、ギターがうまくなること以外、考えなくていい。

36のカプリス2010/05/15 14:05

この曲集と初めて出会ったのは高校のとき。確か最初に買ったのは国内版の安い楽譜だった気がする。その楽譜はギターを止めるときに手放したので、今持っているのはワインバーグ校訂の輸入版。それなりに付き合いの長い楽譜だが、弾いたことがあるのは10曲程度だった。

先日思い立って、36曲全曲を初見で弾いてみようと考えた。次にどんな展開が来るのか分からずに弾くので、非常に楽しくどんどん弾いていく。しかし、20曲くらい弾いていくとだんだんと苦行のように感じて来た。


なんでこんなに指が開く!

ああ、引きつりそうだ…

ドの♭なんてやだー



最後まで弾き終わったとき、自分が一回り大きくなったような気が。。。



今回初見で弾いていて、自分はこの手の音楽なら弾き間違った音が分かるのだな、と思った。何か読み間違えて弾いても、その音が出て来た瞬間に間違いを弾いたと分かる。そうした感覚と照らし合わせると、19番の20小節目の間違いもすぐに分かる。二拍目のファ#はミの間違いだろう。分析すれば理論的な根拠も言えるが、その前に何より、この音は「おかしい」。

この感覚はどうして身に付いたのだろう。和声学は確かに役に立ったが、それ以前からあったような気がする。小さい頃ときどき家で流れていた音楽がそれを作ったのだろうか?