こんな風に書き始めようと思う2014/01/22 23:50

先日の本をこんな風に書き始めようと思っています。

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夜、ふと目覚めたら、誰か知らない人があなたの顔を覗きこんでいたとします。これはもちろんびっくりしますよね。ではその次にどうなるでしょう。

それが生きている人なら、これはもう「怖い」としか言いようがありません。「いったいどこから入ってきたんだ。自分に何の用があるんだ。」と、いろいろな考えが頭のなかを駆け巡り、後ずさりながら思わず声が裏返って「なっ、なに!?」と言うかもしれません。

一方、その人が浮かび上がっていたり、上半身しかなかったりしたらどうでしょう。これは明らかに生きている人ではありません。私はいわゆる「視える」人ではないので、初めてそのようなものを見たら思わず、もっとよく見ようとしてしげしげと眺めるかもしれません。そして「何か用ですか。私は何も出来ませんが。」とでも言いましょうか。でも眠かったら、「誰か話のわかる他の人のところに行って!」と心の中で言いながら、後は無視するかも。もしくは「びっくりさせんなよ。人を脅かして何が面白いんだ!」と切れる可能性もありますね。

もちろん、一般的に言えばここで怖がるのが普通で、場合によっては気を失ってしまうのはわかります。そうなってしまうのは、一般的な人はこのような存在が何かを知らないし、そういうものが存在することを否定したりする風潮もあるからでしょう。私は長年の研究の末、そのようなものが現れても全然不思議ではないし、その正体についても、実際に意思を持ったいわゆる「幽霊」から、残像のような意思のない「幽霊」、単なる気の集まりとしての幻影、脳内の幻覚までいろいろあると理解しています。また、余程のことがない限り、そのような存在は生きている人間よりも弱いのを知っています。そのため、そのようなものが現れても私にとっては「想定内」ですし、それほどの「敵」ではないわけです。これが生きている人なら、正直とても怖いです。その人がマッチョだったり、刃物を持っていたりしたら、とにかく怖いです。これが本来あるべき反応ではないでしょうか。

霊をよく視る人は、だいたい似たような感じらしいです。以前、不思議大好き人間が集まるオフ会を何度かやっていたことがあります。その中には当然視える人が何人かいて、いろいろと興味深い話を聞きました。ちなみにその手の人が集まると、彼らは共通して、私には見えない何かを「視ている」のだというのがハッキリわかります。例えば、自宅でオフ会をやっていた際に面白いことがありました。当時、私の家には組み立て式のピラミッドがありました。そのピラミッド効果を上げるために、電線をある法則で巻きつけて、彼らの前で最後の結線をしたのです。その瞬間、二人が同時に「あっ」と言いました。聞くと、結線した瞬間に、ピラミッドの頭頂から下に向かうエネルギーが明らかに強くなったのが視えたそうです。

その二人のうちの一人から聞いた話です。彼女は免許を取ってまだ一週間くらいの時に、まだ慣れない車を夜遅く走らせながら、家路を急いでいました。そして自宅へもう少し、というところで安心してきたとき、ふいに、フロントガラスに突然下から顔が現れてきました。思わず急ブレーキを踏みましたが、ドスンという鈍い音が。しかし、慌てて外に出て付近を見ても、誰もいません。自宅付近の何度も歩いてきた道なので、特に隠れるような場所はなかったと言い切れます。車の前部を見ても、何の形跡もありません。ここで、そういうことに免疫のない人なら、思わず「ゾゾッ」と毛が逆立ち、震えながら車を発進させるのでしょうか。彼女の反応は違いました。
「なんだ、霊か。あー、良かった。人を轢いてしまったかと思った。」
彼女はすっかり安心を取り戻し、そのまま自宅に戻りました。

本を書きたい2014/01/18 09:29

下記の情報と、今までに出会ってきたいろいろな人からの話、自分自身の体験を元にした本を書きたい。どこか興味を持って支援してくれる出版社がないだろうか。

参考文献・サイト

<書籍>
イアン・カリー,あなたは死なない,PHP研究所,1998
イアン・スティーヴンソン,前世を記憶する子どもたち,日本教文社,1990
エマヌエル・スウェーデンボルグ,霊界日記,角川文庫,1998
カール・A・ウィックランド,迷える霊との対話,ハート出版,1993
コリン・ウィルソン,来世体験,三笠書房,1985
コリン・ウィルソン,右脳の冒険,平川出版社,1998
サトワント・パスリチャ,生まれ変わりの研究,日本教文社,1994
ジェラルディーン・カミンズ,不滅への道,国書刊行会,1985
ジェラルディーン・カミンズ,人間個性を超えて,国書刊行会,1985
ジェーン・ロバーツ,セスは語る,ナチュラルスピリット,1999
ジョン・レナード,スピリチュアリズムの真髄,国書刊行会,1985
ジョージ・V・オーウェン,ベールの彼方の生活,潮文社,1985〜6
ジョージ・ミーク,死後の世界と魂の成長,宗教心理出版,1983
シーラ・オストランダー & リン・シュローダー,実験四次元科学 下,たま出版,1977
デヴィッド・W・ダヴェンポート&エットーレ・ヴィンセンティ,人類は核戦争で一度滅んだ,学習研究社,1983
トマス・サグルー,永遠のエドガー・ケイシー,たま出版,1989
ハワード・マーフェット,H・P・ブラヴァツキー夫人,龍王文庫,1981
ひろた みを,ミステリーゾーンの20人,飛鳥新社,1996
ブライアン・L・ワイス,前世療法,PHP研究所,1991
ベアード・T・スポールディング,ヒマラヤ聖者の生活探求,霞ヶ関書房,1969
リン・ピクネット,超常現象の事典,青土社,1994
レイモンド・ムーディ,死者との再会,同朋舎出版,1994
ロバート・A・モンロー,魂の体外旅行,日本教文社,1990
ロバート・A・モンロー,究極の旅,日本教文社,1995
加門七海,もののけ物語,メディアファクトリー,2010
加門七海,うわさの神仏シリーズ,集英社
加門七海,怪のはなし,集英社,2011
河野良和,催眠療法入門,河野心理研究所,1985
江原 啓之,人はなぜ生まれ いかに生きるのか,ハート出版,1995
江原 啓之,スピリチュアルな人生に目覚めるために,新潮文庫,2003
山岡昌之,心療内科のかかり方、選び方,実業之日本社,2003
森達也,スプーン,飛鳥新社,2001
森田 健,不思議の科学,同朋舎,1998
成瀬悟策,催眠の科学,講談社,2000
田中 千代松,新スピリチュアリズム,日本心霊科学協会出版部,1957
田中 千代松編,新・心霊科学辞典,潮文社,1984
湯川康平,魂魄,講談社出版サービスセンター,1980
南山宏,オーパーツの謎,二見書房,1993
立花 隆,臨死体験,文春文庫,2000
「HONKOWA」編集部,闇の検証第一巻〜第四巻,朝日新聞出版
Dr. Theo Locher & Maggy Harsch-Fischbach,Breakthroughs,Continuing Life Research,1997
Grant & Jane Solomon,The Scole Experiment,Judy Piatkus,1999
H. A. Dallas,"Death, The Gate of Life?",E.P. Dutton,1919
Hereward Carrington,The Story of Psychic Science,Kessinger Publishing Company,1930
Konstantin Raudive,Breakthorough,Colin Smythe,1971
Mark Macy,Miracles in the Storm,New American Library,2001
"Mason, A.A. ",Mind and the skin,British Medical Journal,1953
"Montague Keen, Arthur Ellison and David Fontana",The Scole Report,Society for Psychical Research,1999
Nandor Fodor,Encyclopaedia of Psychic Science,University Books,1934
Pat Kubis&Mark Macy,Conversations Beyond the Light,Griffin Publishing Group,1995
Robert Monroe,Journeys Out of the Body,Main Street Books,1992
Tom and Lisa Butler,There is No Death and There are No Dead,AA—EVP Publishing,2003
Victor Zammit,A Lawyer Presents the Case for the Afterlife,Association for the Scientific Investigation of the Afterlife,1998
Walter Franklin Prince,The Case of Patience Worth,"University Books, Inc.",1964

<漫画>
つのだ じろう,うしろの百太郎,講談社
ひとみ翔、天宮視子,霊感お嬢★天宮視子シリーズ,朝日新聞出版
伊藤 三巳華,視えるんです。,メディアファクトリー
永久保貴一,闇の考証―永久保異聞,朝日新聞出版
永久保貴一,永久保怪異談シリーズ ,各社
永久保貴一,永久保貴一の極めて怖い話,白泉社
永久保貴一,永久保貴一の封じられた霊能力,大都社
永久保貴一,検証・四谷怪談,朝日ソノラマ
永久保貴一,四谷怪談・皿屋敷,朝日ソノラマ
永久保貴一,生き人形シリーズ,各社
永久保貴一、はる,永久保交幽録 琉球ユタ・はる,ぶんか社
永久保貴一、井口 清満,井口清満の心霊事件簿シリーズ,大都社
永久保貴一、秋月慈童 ,密教僧 秋月慈童の秘儀シリーズ,朝日新聞出版
関 よしみ,神々の密談,ぶんか社
高木 裕里、稲葉 朋子,ヒーラー稲葉朋子の前世案内,ぶんか社
山本まゆり,魔百合の恐怖報告シリーズ,朝日新聞出版
流水 凛子,恐怖体験~霊能者は語る~,あおば出版

<サイト>
AFTERLIFE EVIDENCE(http://www.victorzammit.com
Association TransCommunication(http://www.aaevp.com
HELEN DUNCAN(http://www.helenduncan.org.uk/
PSI TECH(http://www.trv-psitech.com/
World ITC(http://www.worlditc.org
霊関連の歴史的文書(http://www.spiritwritings.com

幽霊のタイプ2014/01/05 21:24

なんとなく前からまとめてみたかったことです。考える元となっているのは、古今東西の、いわゆる「死んだ人」からとされる証言、生きたままそういった世界と行き来できるという人の証言、現役霊能者、現役気功師、その他漫画、書籍からの情報です。

人間にはたくさんの身体がありますが、肉体と同じ形の第二の身体、そして第三の身体があるようです。この先にも、人間の形はしていない第四の身体、それ以上があるのですが、そういった身体を持つ人はもはやこの世に関わりを持たないのが普通です。たまに、第六か第七くらいまでの身体になっても、あえて肉体を持ってこの世を体験してみようという人がいるようで、代表的なのはイエス・キリストでしょう。ただ、そこに持って行くと話がとても長くなってしまうので、とりあえずは第三の身体までで考えます。

人は死ぬと肉体を脱ぎ捨てて、第二の身体になります。通常、この状態はほんの少しで、すぐに過ごしやすい世界へ、第三の身体になって行きますが、本人や遺族の思いが強いと、この第二の身体のままでしばらく過ごしたりします。これはかなり典型的な「幽霊」で、ちゃんと自分の意志も持っています。これをタイプAとしましょう。

この、第二の身体のままで過ごすのは、かなり不健康な状態です。死後の生活についてよくわかっている人は自発的に、そうでない人でもたいていお迎えがきて、この第二の身体を捨て、第二の「死」を経て、第三の身体で暮らすようになります。その際にこの第二の身体は脱ぎ捨てられて、ほっておけばそのまま朽ち果てる状態になります。ただ、ここで遺族の思いが強かったりすると、第二の身体がそれにエネルギーを得て動き出したりします。人間には精神的な記憶と肉体的な記憶がありますが、それらはどうも、身体とは別の場所にあるようです。そしてこの第二の身体はまだ、肉体的な記憶とそれなりに結びついています。その結果何が起こるかというと、生前の習慣を繰り返すだけの、故人の似姿が出没するわけです。家の中にいて無表情に突っ立って、何も反応しないとか、窓際にずっと立ち続けているなどは、この手でしょう。つまり、第二の身体が、故人を思う現世の人の心と、肉体的な記憶によって動かされ、視える人には視える、怪しげな存在となるわけです。これをタイプBとします。

以前、霊能者の方に、相談者の半分以上は、問題を自分自身で作り出しているという言葉を聞いたことがあります。永久保貴一さんのマンガに出てくる能力者たちの言葉を考えても、その他の書物の内容から判断しても、人には何もないところに何かを作り出す能力があるのを感じます。「生き人形」という永久保さんの代表作が有りますが、その中で、気の達人が結界を作ったにも関わらず、永久保さんの家に人形が現れるくだりがあります。その状態を見て、その気の達人は、「結界は破られていない。お人形さんは永久保さんが作り出している」と言います。

人は誰でも異常な力を持っています。ただしそれを持つのは顕在意識ではなく、本人には制御できない潜在意識です。その潜在意識には、幻覚に負わされた怪我を実際に発生させる力があります。さらに、その幻覚を他人と共有する力もあります。とすれば、それは「幻覚」と言えるでしょうか。

潜在意識は想像の力でその辺にある気を練り上げて、故人の姿に出来ます。そして対話し、触れ合うことも出来ます。さらに優秀な人は、それを他の、「気」に敏感な人と共有できます。これがタイプCの幽霊でしょう。

実際にはこんなにきれいにタイプ分けは出来ず、タイプBやCに、今は第三の身体に移行してしまっている人が呼び戻されて来たりすることもあるでしょう。これは、生きている人による故人への未練と、亡くなった人のこの世への未練が十分にある場合に可能になると思います。また、タイプBとCの似姿に、他の魂が入り込むこともあるでしょう。肉体にもたまに入り込むくらいだから、第二の身体や、気で練り上げた身体に無関係の魂がたまたま入り込むことは、とても考えられます。

こんなことをぐだぐだと述べて何を言いたいかというと、要は、幽霊というのはこんな感じのもので、とても異質ではあるけれど、不必要に恐れる必要はないということです。タイプAの幽霊がいたら、それが無知によるものなら、もっとよい人生があることを教えてあげましょう。好きでそうしているのなら、「君とは関わりたくない」と、はっきり決別しましょう。タイプBの幽霊には関わらないことです。それ自体意思は持っていなくても、同調してしまうとろくなことがないと思われます。また、タイプBの幽霊を産んでしまわないように、故人の成仏を素直に願いたいものです。タイプCの幽霊なら、太陽の光や遠赤外線、もしくは音(おそらく正弦波?)によって簡単に消えてしまうでしょう。

蛇足ですが、妖怪はタイプCの幽霊に、自然霊が入り込んだものだと思います。

この世には、人が想像できる限りの様々な存在がうごめいていることでしょう。ただこういったことは、この世の不思議のまだまだ浅い部分だと、最近痛感しています。

12/22(日)【想像】朗読劇+プレゼンテーション2013/11/29 00:05

今度、ちょっと変わった催しに出ます。私は若干怪しい話をしてギターを弾く係(笑)。でもこの朗読劇は結構面白そうなので、ご興味ある方は是非、主催者まで申し込んでみてください。
http://ameblo.jp/waterlilies/entry-11710022359.html

私は当日、「秘密」に関する話をしますが、そこでは時間の都合上話せないことを少し書きます。リモートビューイングというものについて若干触れるのですが、これは結構面白いものなのです。アメリカは年間7千万ドルの予算を費やしてこの、日本語でいうと「遠隔透視」を研究し、軍事利用もしていました。イラン・イラク戦争でも使われたし、変わったところでは惑星の探査にも使われています。

木星の探査において、探査機と同じ情報を得てきた優秀な被験者である二人が、今度は水星を目標にしたという興味深い話があります。前回は二人一緒に実験を受けたのですが、今回彼らは別々に実験を求められ、互いに相手が同じ実験に関わっていることを知りません。実験は、マリナー10号の水星着陸を前に情報を得るためでした。再び、非常に驚いたことに、二人は同一の情報を報告し、しかもそれは地球上の科学者が水星について信じていることに相反していたのです。後にマリナー10号から送信されてきた情報は、二人が正しかったことを示しました。

この優秀な二人のうちの一人が立ち上げた会社がまた面白いのです。サイ・テク社といって、今だに存在する会社ですが、表向きはリモートビューイングを教える会社です。しかし発足当初は、どんな企業の秘密でも取ってきますと、大々的に言っていました。なぜこんなことを堂々と言えるかというと、彼らにしてみればどんな企業の内部もすぐ目の前に合って、いつでも中を見られる状態と同じなわけです。そんな風に目の前に公然とさらされている情報を取って、それを他人に伝えたからと言って、いったい何が悪いのかというのが彼らの論理でした。今は流石に公には言っていないようですが、いつでも、やればできるはずです。

最近は日本でもこの練習をして身につけたらしい人が増えてきています。そういう人たちにとって秘密保護法とはどんなものなのでしょうね。目の前に合っていつでも見られるとは言っても、特定秘密にあたることを知ってしまい、それを他人に告げたら罪になるのでしょうか。でもこの場合、秘密の入手経路がはっきりしないと罪に問うのは難しいかもしれません。リモートビューイングで知るというのは法律上「不可能犯罪」なので、やはり秘密保護法の範囲外かと。それでも、入手経路がどうあれ知ってしまったら罪なのでしょうか。こんな訳の分からない法律はできないで欲しいものです。

科学と宗教2013/11/09 00:19

ある哲学者に科学と宗教の違いを聞いたことが有ります。その人が言うには、科学はどこまでも「なぜ」を突き通せるもの。一方、宗教は、とことん「なぜ」を繰り返すと、最後は「神がそう決めたから」とか「教祖様がそう言っているから」になってしまう。

この区別は非常に良いと思います。これで考えると、巷にはいわゆる「宗教」以外にも、「私設宗教」みたいなのがたくさんあります。なぜと繰り返すと「学会ではそれが通説だから」とか「どう考えても荒唐無稽としか思えない」という答えに行き着くのは、科学の名を借りた宗教でしかないでしょう。

一般でもこういうのはいろいろありますね。「みのもんた教」の信者は結構減ったかもしれませんが、こういった注目を浴びている人が言ったことを何も考えずに鵜呑みにしたり、自分で調べて、自分の頭で考えて、そして判断しようという人が少なすぎる気がします。とは言え、何でも自分で調べて判断していくと、時間が足りなくなるのは道理。だから、放射性物質の影響についても自分で調べて判断しようとする人が少ないのは理解できます。

私は大震災の後しばらく自由出勤だったのを良いことに、仕事もせず、さんざんその辺のことを調べまくっていました。実家が仙台だったり、ものすごい津波があった山元町に住んだことがあったり、福島出身の友人がいたりしたのも影響してますが、私は基本的に怪しいものを門前払いしない人です。一応自分なりに調べて、それでも怪しければ「ごめんなさい」ということにしています。そんな私が調べた限り、低線量の長期被曝の影響は、非常に考慮するべき問題です。年齢もあまり関係がありません。幼児と非常に年配の方が影響を受けやすいのは確かですが、それ以外のすべての年代の人に影響があると思います。

これが私なりに、科学を追求するつもりで得た結果です。そして、こういった影響は、世間一般にあまりに過小評価されていると思います。

すっかり住みにくい世の中になって来ましたが、皆さん、健康には人一倍気をつけてください。これまでの年の倍以上気をつけたほうが良いと思います。
そしてみなさんも良かったら、私と同じように科学的に考え、とことん調べてみてください。ちなみに、お時間のない方はそのままここで書かれたことを鵜呑みにして、「詩曜教」に入ってみてはいかがでしょう(笑)。