ライブであるということ2010/01/24 10:12

おととい、昨日と、同じ演劇の公演を三回観たが、どれも違っていて面白かった。もちろん筋は同じだが、細かいセリフが結構変わったり、アドリブがあったり、小道具が壊れるアクシデントがあったり・・・

音楽、特にクラシック音楽の場合には、日頃練習した成果を出すことばかりに集中して、こうしたライブ感が希薄に感じることがある。もっと、「今日はここを小さく弾いてみたかったからピアノにしました」みたいなノリがあってもいいのではないだろうか。市販の楽譜でここはフォルテだけど、現譜ではピアノだった。それをどちらで弾いて良いのかを、さんざん勉強して、調べて、それで決めると言うやり方は否定しない。でも、その強弱が、本人の想いとつながっていなければ、あまり意味がないのではないだろうか。

同じ曲の演奏を何度聴いても、そこに新しい面白さが感じられるようなギタリストに出会いたい・・・

ちなみに「くつ下とケムリ」も、今日が最終日。幸い満席に近い予約が入っているが、今回の公演は、もっともっと多くの人に観てもらいたかった。

Pastoral-想い出2010/01/29 00:15

「くつ下とケムリ」の公演にギター曲が使われていた。結構耳に残ったので脚本家に聞いたら、村治佳織さんの同名のCDに入っているラストの曲、ロドリーゴのPastoralだということが判明した。

実は何気に楽譜を持っていた。しかし、やたらと変に難しすぎる。そこで、他の人はいったいどうやって弾いているのか、とiTunesを見たところ、ピアノの演奏がヒット。この曲はもともとピアノ曲で、私の持っていた楽譜も良く見たら、ぺぺ・ロメロの編曲だった。そのピアノの演奏がとてもすばらしい。その後村治さんの演奏も聴いてみたが、正直そのピアノ演奏と比べると全然良くない。やはりギターだから、制限が多すぎてそれなりの演奏になってしまったのかと思い、他のピアノ演奏を探したが、それは村治さんと大差ない演奏だった。つまり、最初に聞いたピアノ演奏が、飛びぬけて良いようなのだ。

それを弾いたのが誰なのか良く見たら、なんと、ロドリーゴ本人だった。たいていは、作曲者本人が演奏したからと言って良い演奏にはならないが、これに関しては違ったようだ。

と、こんな風に書いてきたが、演劇で実際に使われていたのは村治さんの演奏だった。それでも、今回の内容とあわせて十二分に印象に残っている。良い曲は、演奏にあまり左右されないと言える。

これからこの曲を弾くたびに、この「くつ下とケムリ」の公演を思い出すだろう。そんな風に、特定の想い出に結び付いた曲をレパートリーに持つことが出来るのは、とても素敵なことだと思う。

だから、音楽は好きだ・・・。