メルツの《Concertino》覚え書き2010/08/15 08:22

ほぼ確実に、メルツ最後の作品。
Nikolai Makaroffが主催したBrussels guitar composition contest に出す為に書かれた。

コンテストにはフランス、ドイツ、スペイン、ポーランド、オランダ、オーストリアの30人の作曲家から、64点の作品が集まった。最終選考に残ったのはメルツの4作品、コストの4作品、Komamyの2作品、そしてKuhnelの1作品。しかしこの選考の前、1856年10月14日にメルツは死去。

12月10日に出た結果はメルツが1位で、対象となった作品は《Concertino》だった。ちなみに2位は、マカロフの覚え書きによるとコストの《セレナーデ》。Op.30の《グランド・セレナーデ》はマカロフに捧げられているので、それなのだろうか。

関係ないが、メルツはピアニストの奥さんに殺されそうになったことがある。1846年、神経痛のために処方されたストリキニーネ数回分を、奥さんが間違って一気に投与してしまったのだ。その後メルツは18ヶ月ほどかかって、やっと健康を回復している。その回復期間はコンサート活動をせずに作曲に専念していたようで、ちょうどこの頃《吟遊詩人の歌op.13》が出版されている。

それにしても間違いとは言え、奥さんに殺されかかるというのはどんな気分なのだろう。でもメルツ後期の作品に、このピアニストである奥さんが弾いていた当時の作品、ショパン、シューマン、リストなどの作品が強く影響しているのは確かだと思う。きっと、殺しかけたお詫びに、ベッドの脇でたくさん弾いてくれたのではないだろうか…。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック