栗田和樹、そして学生ギターコンクール2010/08/04 10:42

土曜日は栗田和樹のコンサートを聴きに行った。留学から帰国して初めての公のリサイタル。デビューリサイタルと行っても良いだろう。

まず注目したいのは、アンコールで弾いた《禁じられた遊び》《アデリータ》の名演。これをうまく聞かせられるということは、歌い方の基礎がしっかりしていて、音色がよく、ていねいさがあると言えよう。しかし彼はそれだけではなかった。

20代の演奏家でこういった長所を持ち合わせた人はそれなりにいるが、彼らに割と共通するのは、攻めとパッションが足りないことだ。逆にパッションにあふれる人は、とてもていねいとは言えない、音も汚い演奏になる傾向がある。

栗田和樹は攻めていた。何をどう攻めていたのかは聞いていた人しか分からないが、とにかくパッション有りの、攻める演奏を随所に魅せてくれていたのだ。正直この年代の人の演奏で、久々に「おおっ」と思わせてくれるものに出会った。

ただ、難点は結構ある。中でも、大きなフレーズの終わり、始まりで、十分な間を取らずに、せっかちに先に行ってしまうのはかなりのマイナスポイント。観客が一旦落ち着いて、「さあ、次を聞くぞ」と身構える、それができる間を取って欲しい。

それと、今回はど忘れが多かった。でもこれは、心で歌いながら弾くようにしていけば、自然と直ってくるだろう。その他にも技術的な課題があるが、それを全部差し引いても、魅力的な、心のあるコンサートだったと思う。

実は2009年に初めて聴いた彼の演奏は最悪だった。まるっきり、楽譜通りに音を出すだけという演奏。そして、さすがにそこでは言わなかったが、後日、ある程度仲が良くなってから「あのときのようなレベルの仕上がりで人前で弾いて欲しくない」とはっきり言ったことがある。その彼から、今回のような演奏を聞けたのはとても嬉しい事だ。


翌日はGLCの学生ギターコンクール。いろいろと感じた事を書いてみよう。
小学生の課題曲は、メルツの「ロマンス」(低学年)、ヘンツェの「ノクターン」(高学年)。今時の子ども達は、これくらいの曲ならノーミスで弾くのだな、とちょっと感心。とは言え、音楽がちゃんと流れている子は少ない。まして、まともに歌っている子となると、2,3人だった。ということは、まともに歌っていない子でも本選に残さなければならないわけで、そこに誰を選ぶかはは難問だった…

中学生の予選は裏方の作業で聞けなかったが、モニタ越しに少し聞こえてくる感じでは、結構この曲に苦戦している人が多かったようだ。課題曲はカーノの《ワルツ・アンダンティーノ》。モニタの音を何となく聞きながら作業をしていると、途中で変なフェルマータが入って、思わず作業が止まり、椅子からずり落ちそうになるという出来事もあった。

高校生の課題曲はソルの《ワルツOp.32-2》。Etouffezの部分をピチカートで演奏したのが2人だけだったのは、ちょっと「?」。この言葉はフランス語で「音を包んで弱めて消す」みたいな意味。通常はピチカートの意味で取って良いと思うのだが。

大学生の課題曲はタレガの《ラグリマ》。この部門を審査した一人に、28人も聞いて、優劣が付け難かったのでは、と聞いたら、そうでもなかったとのこと。ダメな人は3拍子にならずに、1拍ごとに切れ切れになったり、結構分かりやすかったそうだ。

そして本選。小中学生はモニタで聞いたが、みんなしっかりした、それなりに難しい曲を弾くのだな、と思った。中にはパガニーニのカプリス24番を選んだ小学生も。音楽はやはり皆幼いが、聞いていて面白かった。

高校と大学の本選は会場で聞いた。その中では、今まで割とおとなしめの演奏が多かった飯野なみが、結構大胆な演奏をしたのが印象的だった。順当に一位になり、これからがさらに楽しみ。今年の高校部門には、残念ながら彼女に対抗出来るような逸材はいなかった。

大学の一位になったのは、メルツの《コンチェルティーノ》を弾いた林祥太郎。今まであちこちの予選で演奏を聞いた事があるが、それに比べると最近進化して来ているように見える。無難にまとめようとする気持ちが前面に出てしまってはいたが、なかなかしっかりした演奏だった。それにしても、この曲は知らなかったが、かなりいい曲。早速月曜日に、初版譜(手書き)と、同時代のその手書きコピー譜を手に入れ、練習を始めた。ただ手書き譜なので、細かい装飾音が読みにくい!

とまあ、そんな感じで過ごした週末だった。

スリリングな《タンゴの歴史》2010/08/05 23:03

昨日は谷辺昌央さんのコンサートを聞きに行った。そこで聞いた《タンゴの歴史》はなんだか異常にパワフルだった。バイオリンを弾いていたのは池田梨枝子さん。1曲目から若干速めのテンポ。2曲目もそれほどテンポを落とさず情熱的に。そして3曲目の最後にかなり早くなり、4曲目はそれに輪をかけたスリリングな速さ。これだけのテンポで4曲目をやられると、音楽語法が破壊されて、タンゴの純粋なノリだけが残ったみたいな感じが。たくさんの人が「熱く」踊っているような感覚になった。
これからはもう、普通のテンポの4曲目を聞けないかも…。

それにしても、これだけ速くなってもしっかり伴奏がついてくるというのはすごい。

楽器2010/08/09 01:01

今日は楠、Yukinoペアのライブを聴きに渋谷へ。終わって打ち上げをしている中、Yukinoさんが弾いている、スペインのオルモスという人が作った楽器を弾いてみたいと申し出た。

ギターを止めた際にThomas Humphreyは捨て値で売り飛ばした。その価格は何と3万円。もうギターは弾かないと決めていたから、とにかく弾いてくれる人に使って欲しくて、でもただでは良くないということで、その値段で売った。

その後、やはりギターがないと寂しいという事で95年に河野を買って、以来その楽器をずっと使って来た。何度か、楽器を替えたらと言われたが、自分はその度に、まだ全然弾けないし、楽器も鳴らし切っていないから、まだ替えなくてよい、と言って来た。

しかしここ一週間ほど、ついに他の楽器が欲しくなって来てしまった。そこで他のギターを触ってみようということになった。これが、非常に分離が良くて、ぱりっとしていて、今練習している《Concertino》や《サパテアード》にはバッチリ。やはり、河野ギターだけでは限界が来たのだろうか。これはこれでよいところもすごくあるのだが…

楠君のラミレス4世も弾かせてもらったが、これなら今の河野でも良い感じ。一方、オルモスさんのギターは全く異なる音がしていた。

でも、金はないしな〜

メルツの《Concertino》覚え書き2010/08/15 08:22

ほぼ確実に、メルツ最後の作品。
Nikolai Makaroffが主催したBrussels guitar composition contest に出す為に書かれた。

コンテストにはフランス、ドイツ、スペイン、ポーランド、オランダ、オーストリアの30人の作曲家から、64点の作品が集まった。最終選考に残ったのはメルツの4作品、コストの4作品、Komamyの2作品、そしてKuhnelの1作品。しかしこの選考の前、1856年10月14日にメルツは死去。

12月10日に出た結果はメルツが1位で、対象となった作品は《Concertino》だった。ちなみに2位は、マカロフの覚え書きによるとコストの《セレナーデ》。Op.30の《グランド・セレナーデ》はマカロフに捧げられているので、それなのだろうか。

関係ないが、メルツはピアニストの奥さんに殺されそうになったことがある。1846年、神経痛のために処方されたストリキニーネ数回分を、奥さんが間違って一気に投与してしまったのだ。その後メルツは18ヶ月ほどかかって、やっと健康を回復している。その回復期間はコンサート活動をせずに作曲に専念していたようで、ちょうどこの頃《吟遊詩人の歌op.13》が出版されている。

それにしても間違いとは言え、奥さんに殺されかかるというのはどんな気分なのだろう。でもメルツ後期の作品に、このピアニストである奥さんが弾いていた当時の作品、ショパン、シューマン、リストなどの作品が強く影響しているのは確かだと思う。きっと、殺しかけたお詫びに、ベッドの脇でたくさん弾いてくれたのではないだろうか…。

ギター曲の作曲はパズル2010/08/18 22:32

ここ数年、ギター曲に対する最近の意識変化の結果、昔の曲をどんどん手直ししている。今日はその一環として、ギターソロ曲「Waltz of Life」の手直し+清書が完了したのだが、ここでまた発見があった。

ちなみに、まずこれが2002年に全五曲が完成し、清書した楽譜(一曲目の最初のページ)。
http://www.asahi-net.or.jp/~qr7s-tmym/blog/1_old.png

実はこの曲の12,13小節が悩みの種だった。このままだと、弾けないとは言えないけれど結構弾きにくい。こういう小節が2007年までの作品には結構出てくる。ここを弾きやすくするのに、最初は2弦で弾けるように音を変えた。しかし何度か弾いていくと、やはりそこが2弦の音である事に違和感が出てくる。今日はその箇所について、本当に他の手はないのかと考えていた。するとあっさりと、こんな解決策が出て来た。
http://www.asahi-net.or.jp/~qr7s-tmym/blog/1.png

3拍目に単音しか鳴っていなくても、これが一番、曲の雰囲気、速度、弾きやすさを満たす回答だと思う。何と言うか、ひとつ難しいパズルを解いた感じ。ギターソロの作曲というのは、つくづく特殊な世界なのだと痛感した。