私の音楽のルーツ(その4)2015/01/11 23:53

そういえば高校時代に合唱をやっていて、日本人が書いたちょっと変わった和声の曲とか、シューベルトのミサ曲とか、もっとずっと古い時代の曲とか、合唱を通してもいろいろなタイプの曲に触れていました。その後、作曲を習い始めた大学2年の頃から、音大に入っている人たちに負けないぞという気持ちで、積極的にいろいろなクラシックを聴きだしました。

ギター科が今のようにあちこちにあれば、絶対私はそこに行っていたでしょう。しかし当時はなかったので、とりあえず地元の大学の理学部数学科に籍を置きながら、音楽の勉強を自分なりに始めました。FMラジオをしょっちゅう聞いて、そこから流れてくるクラシック曲をエアチェックしていたものです。作曲の先生に、ストラヴィンスキーの《春の祭典》を録音したテープを、10通りほど別の演奏で貸してもらい、指揮者とオーケストラによってどう曲が変わるのかを聞いたりもしました。

ギター曲でこの頃特に好きだったのは、バッハ《シャコンヌ》、アルベニス《アストゥリアス》、ポンセ《主題、変奏と終曲》、ヴィラ=ロボス《12の練習曲》などでしょうか。

数学科を卒業した後、結局東京に来て、東京コンセルヴァトワール尚美のギター科ディプロマに入りました。その傍ら、吉祥寺の民族音楽センターに通って、各地の民族音楽を聴きながら、トルコ音楽の楽団の一員として民族楽器を弾いていたりしました。トルコ以外の楽器でも、有名なところではインドのシタールやタブラ、アラビアのウードなど、各地の楽器で遊ばせてもらったのを覚えています。

クラシックはこの頃、現代音楽なんかも聴きだしました。結局尚美ではほとんど作曲科の授業を聴講させてもらっていたので、その影響もあります。もともとディプロマは人数が少ないので、たまに作曲科の学生が全員休みで、私だけが授業に出ていたこともありました(笑)。

尚美を卒業する頃ジストニアになり、その後数年間治そうとしたものの、当時はこの病名すら知られてなかったため、全く的外れのことをやっていました。そして治らずに、ギターも楽譜も手放して、クラシック音楽から離れて行きます。その後、「イカ天(イカすバンド天国)」の番組に出会って、またポップス寄りになってきました。

今回紹介したいのは、作曲の授業で「こんなポピュラー曲もあるんだよ」ということで出て来た、矢野顕子さんの《へこりぷたぁ》

ただ私としては、このアレンジより、授業で聴いたシンプルなピアノ弾き語り版の方が好きですが。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック