ジストニアの経緯(その一) ― 2015/02/08 00:04
改めてジストニアの経緯を詳しく書きたくなりました。その理由は2つあります。
実は治った、治った、と言っていても、ここ数年、再発してはまたすぐに治ってというのを何度か繰り返していました。その後、再発しそうになったらどんな練習をすればよいのかを学び、さらに先先日、素早い再発撃退法も学んだのがひとつの理由としてあります。
それと、今まで治ってくるにあたって、一般的にはなかなか信じてもらえないようなこともいくつかあったので、それを書き控えていたのがありました。しかしもう、情報がどうであれ、この経験はシェアするべきだろうと思い、これからすべてを書いていこうと思います。
私の発症は25歳のときでした。その数年前に右手のフォームを変え、それまでずっと親指が弾きにくく感じていました。とは言え、今でもちょっと敬遠するような難しい曲を弾いていたのも事実です。それが、通っていた音楽専門学校の卒業試験が近づくに連れて、だんだんと右手がおかしくなってきたのです。練習すればするほど予測できない動きになってきて、人差し指が何かと曲がったままの状態になりました。
当時は何が起きたのかわからないまま、周囲もジストニアという病気を知らなかったため、この症状は腱鞘炎だと言われ、そう信じていました。周りの人は腱鞘炎にも全く痛みのないものがある、と言っていたのです。
でもこれっておかしな話ですよね。炎症なのに痛みがないって。また、炎症で膨れ上がった腱のために人差し指がおかしいという感じは全くありません。
それから2年ほど、鍼、気功、キネシオテープなどで治そうとしていましたが治らず、私は一旦、ギターも楽譜も手放してギターを止めました。この先はまた今度書きます。
実は治った、治った、と言っていても、ここ数年、再発してはまたすぐに治ってというのを何度か繰り返していました。その後、再発しそうになったらどんな練習をすればよいのかを学び、さらに先先日、素早い再発撃退法も学んだのがひとつの理由としてあります。
それと、今まで治ってくるにあたって、一般的にはなかなか信じてもらえないようなこともいくつかあったので、それを書き控えていたのがありました。しかしもう、情報がどうであれ、この経験はシェアするべきだろうと思い、これからすべてを書いていこうと思います。
私の発症は25歳のときでした。その数年前に右手のフォームを変え、それまでずっと親指が弾きにくく感じていました。とは言え、今でもちょっと敬遠するような難しい曲を弾いていたのも事実です。それが、通っていた音楽専門学校の卒業試験が近づくに連れて、だんだんと右手がおかしくなってきたのです。練習すればするほど予測できない動きになってきて、人差し指が何かと曲がったままの状態になりました。
当時は何が起きたのかわからないまま、周囲もジストニアという病気を知らなかったため、この症状は腱鞘炎だと言われ、そう信じていました。周りの人は腱鞘炎にも全く痛みのないものがある、と言っていたのです。
でもこれっておかしな話ですよね。炎症なのに痛みがないって。また、炎症で膨れ上がった腱のために人差し指がおかしいという感じは全くありません。
それから2年ほど、鍼、気功、キネシオテープなどで治そうとしていましたが治らず、私は一旦、ギターも楽譜も手放してギターを止めました。この先はまた今度書きます。
4つのきっかけ-1 ― 2015/02/08 22:18
これから4つのきっかけについて書いていきます。
1. 一旦辞めたギターをまた弾きたくなったきっかけ
2. 毎日の練習を再び始めたきっかけ
3. 音楽に再感動したきっかけ
4. 単なるアマチュアでは終わらない決意をしたきっかけ
この4つです。このどれが欠けても、その後のジストニア克服にはつながらなかったでしょう。特に2,3のきっかけは、回復を途中で諦めず、最後までやり遂げる原動力となっています。今回はまず1番目のきっかけについて書きましょう。
清田益章さんという人がいます。彼は超能力者と呼ばれる人。昔から名前は知っていましたが、実際に会ったのはギターを再び始める少し前です。
彼は当時、寿司屋である実家の二階に人を集めて、自分の体験談を話しながら、心がいかに重要かを説き、スプーンを曲げたりねじったり、切ったりというパフォーマンスを間近で見せてくれていました。とは言え、それまでのいろいろな不思議体験のおかげで、こういったことは人間に可能だと受け入れていました。ただ、自分でそれができるというのは信じられなかったようで、それまで何度か試みたスプーン曲げはすべて失敗に終わっていましたが。
彼のパフォーマンスは、話に聞いていたものを間近に体験するという、単なる再確認だけで、特に格別の驚きではありませんでした。そんな中、清田さんが実はCDを出したことがあるという話が一度出てきて、私はそれを買いました。その中の«Birthday ~あの日に~»という曲に非常に感動し、それをギター伴奏したくなったのです。
Happy Birthday ここに生まれてきて
力強く生きてる奴に Happy Birthday
ここの歌詞に私は涙してしまいました。当時は、今になってもあまり受け入れられていない分野に力いっぱい時間を注いでいたときで、そんな自分でも祝福してもらえた、みたいな感じですごく感動して、この曲をどうしても伴奏してみたくなったのです。
久しぶりにギターを弾く私の指はもうフニャフニャで、弦を弾く力もあまりなく、一音一音をやっと弾く感じでしたが、それでもしばらく練習した後、実際に彼が生で人前で歌う伴奏をさせてもらいました。
これだけならまだ、「これからはまたときどきギターを弾いて楽しもうか」で終わったと思います。それが、その後に本格的な練習を始めるにあたっては、再びこの清田さんが深く関係している第2のきっかけがあります。それはまた次回に書きましょう。なお、この歌は現在YouTubeで公開されています。
http://youtu.be/kb06q1S1ZFs
1. 一旦辞めたギターをまた弾きたくなったきっかけ
2. 毎日の練習を再び始めたきっかけ
3. 音楽に再感動したきっかけ
4. 単なるアマチュアでは終わらない決意をしたきっかけ
この4つです。このどれが欠けても、その後のジストニア克服にはつながらなかったでしょう。特に2,3のきっかけは、回復を途中で諦めず、最後までやり遂げる原動力となっています。今回はまず1番目のきっかけについて書きましょう。
清田益章さんという人がいます。彼は超能力者と呼ばれる人。昔から名前は知っていましたが、実際に会ったのはギターを再び始める少し前です。
彼は当時、寿司屋である実家の二階に人を集めて、自分の体験談を話しながら、心がいかに重要かを説き、スプーンを曲げたりねじったり、切ったりというパフォーマンスを間近で見せてくれていました。とは言え、それまでのいろいろな不思議体験のおかげで、こういったことは人間に可能だと受け入れていました。ただ、自分でそれができるというのは信じられなかったようで、それまで何度か試みたスプーン曲げはすべて失敗に終わっていましたが。
彼のパフォーマンスは、話に聞いていたものを間近に体験するという、単なる再確認だけで、特に格別の驚きではありませんでした。そんな中、清田さんが実はCDを出したことがあるという話が一度出てきて、私はそれを買いました。その中の«Birthday ~あの日に~»という曲に非常に感動し、それをギター伴奏したくなったのです。
Happy Birthday ここに生まれてきて
力強く生きてる奴に Happy Birthday
ここの歌詞に私は涙してしまいました。当時は、今になってもあまり受け入れられていない分野に力いっぱい時間を注いでいたときで、そんな自分でも祝福してもらえた、みたいな感じですごく感動して、この曲をどうしても伴奏してみたくなったのです。
久しぶりにギターを弾く私の指はもうフニャフニャで、弦を弾く力もあまりなく、一音一音をやっと弾く感じでしたが、それでもしばらく練習した後、実際に彼が生で人前で歌う伴奏をさせてもらいました。
これだけならまだ、「これからはまたときどきギターを弾いて楽しもうか」で終わったと思います。それが、その後に本格的な練習を始めるにあたっては、再びこの清田さんが深く関係している第2のきっかけがあります。それはまた次回に書きましょう。なお、この歌は現在YouTubeで公開されています。
http://youtu.be/kb06q1S1ZFs
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