4つのきっかけ-22015/02/09 12:48

第2のきっかけは自分自身でスプーンを曲げたことに起因しますが、その前に清田益章さんの話を少ししておかないと流れが説明できないので、そちらを先にさせてもらいます。

清田さんは大学の実験に協力して、管理された実験室内で、ガラス張りの密閉容器に入れたあらゆるものを、手を触れずに曲げてきました。しかしそんな彼でも、どうしても曲がらなかったものがあるというのです。それは「ガラス」です。これに関しては、曲げようとしても割れてしまうのです。彼はどうしてガラスを曲げられないのか、自分の考えを話してくれたことがありました。

清田さんは小さい頃金ヤスリを曲げていました。しかし、金ヤスリのような鍛え上げられた金属は、本来曲がるものではなく、無理に曲げようとすれば絶対に折れてしまうものなのだそうです。ある日、ある大学の先生が清田さんのところに来て曲がった金ヤスリを見ました。当然のことながら彼は非常にびっくりして、現在目の前にあるそれが、いかに非常識な、科学的にあり得ない物質であるのかをとうとうと清田さんに説明してくれたそうです。その結果、翌日から清田さんが金ヤスリを曲げようとしても、それは折れてしまうようになりました。つまり清田さんは、大学の先生がしてくれた丁寧でありがたい説明によって、金ヤスリが曲がるイメージを持てなくなってしまったのです!

彼はガラスも同じだろうと言っていました。寿司屋の息子として、客がコップを落として割るのを小さい頃から何度も見ているため、ガラスに対しては割れるイメージしか持てなくなっているのではないかと、彼は考えています。

私はそのときまで何度か、自分でスプーンを曲げようとしてみたことがあります。しかしいつも曲がらず、だんだんと、スプーンを曲げられる人は確かにいるけれど、自分にはその才能はないのだと思ってきていました。それが、上記に上げた以外にも、清田さんがしてくれたいろいろな話に触発されて、一度本気で、30分ほどスプーン曲げに取り組んだことがあります。その結果、わずかではあるけれどもハッキリと分かる程度に、スプーンは曲がりました。

私は自分にもできたことが嬉しくて、それを友人に見せました。しかし彼女は冷たく、

「へー、すごいね。でもそれが何になるの?」

と言ったのです。そこで私は改めて、自分がなぜスプーンを曲げたかったのかを考えました。

私はスプーンを曲げることによって、世間の常識に染まって固くなってきている自分の頭を、もう一度柔らかくしたかったのです。そして思いました。

「こんな硬い物質に思いが伝わるのなら、自分の身体くらい、もっとうまく操れるのでは」と。

そして私は再び毎日のギター練習を始めました。

この体験と、清田さんが何度も言っていた「すべては心から始まる」という言葉が、その後の大きな支えになっています。いずれ詳しく書きますが、この後でライブ活動に復帰後、改めて一曲も弾けなくなってしまったことがあります。その時はさすがにまたギターを止めようかと思いましたが、この体験と言葉が支えになって、再び0、というよりもはやマイナス状態から頑張る気力が出たものです。

4つのきっかけ-32015/02/09 13:21

3つめのきっかけは心構えを変化させてくれました。

ギターの練習を再開した私はある日、昔習ったソルのエチュードを引っ張り出してきて、セゴビア番号1番を弾いてみたのです。そして、その簡単な曲がいまだに弾けることに感動しました。

ジストニアのためにギターを一旦止める頃は、今までは弾けていたテクニカルな曲ばかり弾いて、それらが弾けないことを残念に思ってばかりいました。その意識のままで練習を再開していたら、きっとまたすぐにやらなくなってしまっていたことでしょう。しかし、簡単な曲が弾けることに感動できるようになったその心は、練習をじっくりと続ける上での確実な燃料となりました。

今回は短いですが、ここまでです。
次回は練習を再開した頃の状況を少し詳しく書きます。