4つのきっかけ-32015/02/09 13:21

3つめのきっかけは心構えを変化させてくれました。

ギターの練習を再開した私はある日、昔習ったソルのエチュードを引っ張り出してきて、セゴビア番号1番を弾いてみたのです。そして、その簡単な曲がいまだに弾けることに感動しました。

ジストニアのためにギターを一旦止める頃は、今までは弾けていたテクニカルな曲ばかり弾いて、それらが弾けないことを残念に思ってばかりいました。その意識のままで練習を再開していたら、きっとまたすぐにやらなくなってしまっていたことでしょう。しかし、簡単な曲が弾けることに感動できるようになったその心は、練習をじっくりと続ける上での確実な燃料となりました。

今回は短いですが、ここまでです。
次回は練習を再開した頃の状況を少し詳しく書きます。

4つのきっかけ-22015/02/09 12:48

第2のきっかけは自分自身でスプーンを曲げたことに起因しますが、その前に清田益章さんの話を少ししておかないと流れが説明できないので、そちらを先にさせてもらいます。

清田さんは大学の実験に協力して、管理された実験室内で、ガラス張りの密閉容器に入れたあらゆるものを、手を触れずに曲げてきました。しかしそんな彼でも、どうしても曲がらなかったものがあるというのです。それは「ガラス」です。これに関しては、曲げようとしても割れてしまうのです。彼はどうしてガラスを曲げられないのか、自分の考えを話してくれたことがありました。

清田さんは小さい頃金ヤスリを曲げていました。しかし、金ヤスリのような鍛え上げられた金属は、本来曲がるものではなく、無理に曲げようとすれば絶対に折れてしまうものなのだそうです。ある日、ある大学の先生が清田さんのところに来て曲がった金ヤスリを見ました。当然のことながら彼は非常にびっくりして、現在目の前にあるそれが、いかに非常識な、科学的にあり得ない物質であるのかをとうとうと清田さんに説明してくれたそうです。その結果、翌日から清田さんが金ヤスリを曲げようとしても、それは折れてしまうようになりました。つまり清田さんは、大学の先生がしてくれた丁寧でありがたい説明によって、金ヤスリが曲がるイメージを持てなくなってしまったのです!

彼はガラスも同じだろうと言っていました。寿司屋の息子として、客がコップを落として割るのを小さい頃から何度も見ているため、ガラスに対しては割れるイメージしか持てなくなっているのではないかと、彼は考えています。

私はそのときまで何度か、自分でスプーンを曲げようとしてみたことがあります。しかしいつも曲がらず、だんだんと、スプーンを曲げられる人は確かにいるけれど、自分にはその才能はないのだと思ってきていました。それが、上記に上げた以外にも、清田さんがしてくれたいろいろな話に触発されて、一度本気で、30分ほどスプーン曲げに取り組んだことがあります。その結果、わずかではあるけれどもハッキリと分かる程度に、スプーンは曲がりました。

私は自分にもできたことが嬉しくて、それを友人に見せました。しかし彼女は冷たく、

「へー、すごいね。でもそれが何になるの?」

と言ったのです。そこで私は改めて、自分がなぜスプーンを曲げたかったのかを考えました。

私はスプーンを曲げることによって、世間の常識に染まって固くなってきている自分の頭を、もう一度柔らかくしたかったのです。そして思いました。

「こんな硬い物質に思いが伝わるのなら、自分の身体くらい、もっとうまく操れるのでは」と。

そして私は再び毎日のギター練習を始めました。

この体験と、清田さんが何度も言っていた「すべては心から始まる」という言葉が、その後の大きな支えになっています。いずれ詳しく書きますが、この後でライブ活動に復帰後、改めて一曲も弾けなくなってしまったことがあります。その時はさすがにまたギターを止めようかと思いましたが、この体験と言葉が支えになって、再び0、というよりもはやマイナス状態から頑張る気力が出たものです。

4つのきっかけ-12015/02/08 22:18

これから4つのきっかけについて書いていきます。

1. 一旦辞めたギターをまた弾きたくなったきっかけ
2. 毎日の練習を再び始めたきっかけ
3. 音楽に再感動したきっかけ
4. 単なるアマチュアでは終わらない決意をしたきっかけ

この4つです。このどれが欠けても、その後のジストニア克服にはつながらなかったでしょう。特に2,3のきっかけは、回復を途中で諦めず、最後までやり遂げる原動力となっています。今回はまず1番目のきっかけについて書きましょう。

清田益章さんという人がいます。彼は超能力者と呼ばれる人。昔から名前は知っていましたが、実際に会ったのはギターを再び始める少し前です。

彼は当時、寿司屋である実家の二階に人を集めて、自分の体験談を話しながら、心がいかに重要かを説き、スプーンを曲げたりねじったり、切ったりというパフォーマンスを間近で見せてくれていました。とは言え、それまでのいろいろな不思議体験のおかげで、こういったことは人間に可能だと受け入れていました。ただ、自分でそれができるというのは信じられなかったようで、それまで何度か試みたスプーン曲げはすべて失敗に終わっていましたが。

彼のパフォーマンスは、話に聞いていたものを間近に体験するという、単なる再確認だけで、特に格別の驚きではありませんでした。そんな中、清田さんが実はCDを出したことがあるという話が一度出てきて、私はそれを買いました。その中の«Birthday ~あの日に~»という曲に非常に感動し、それをギター伴奏したくなったのです。

Happy Birthday ここに生まれてきて
力強く生きてる奴に Happy Birthday

ここの歌詞に私は涙してしまいました。当時は、今になってもあまり受け入れられていない分野に力いっぱい時間を注いでいたときで、そんな自分でも祝福してもらえた、みたいな感じですごく感動して、この曲をどうしても伴奏してみたくなったのです。

久しぶりにギターを弾く私の指はもうフニャフニャで、弦を弾く力もあまりなく、一音一音をやっと弾く感じでしたが、それでもしばらく練習した後、実際に彼が生で人前で歌う伴奏をさせてもらいました。

これだけならまだ、「これからはまたときどきギターを弾いて楽しもうか」で終わったと思います。それが、その後に本格的な練習を始めるにあたっては、再びこの清田さんが深く関係している第2のきっかけがあります。それはまた次回に書きましょう。なお、この歌は現在YouTubeで公開されています。

http://youtu.be/kb06q1S1ZFs

ジストニアの経緯(その一)2015/02/08 00:04

改めてジストニアの経緯を詳しく書きたくなりました。その理由は2つあります。

実は治った、治った、と言っていても、ここ数年、再発してはまたすぐに治ってというのを何度か繰り返していました。その後、再発しそうになったらどんな練習をすればよいのかを学び、さらに先先日、素早い再発撃退法も学んだのがひとつの理由としてあります。

それと、今まで治ってくるにあたって、一般的にはなかなか信じてもらえないようなこともいくつかあったので、それを書き控えていたのがありました。しかしもう、情報がどうであれ、この経験はシェアするべきだろうと思い、これからすべてを書いていこうと思います。

私の発症は25歳のときでした。その数年前に右手のフォームを変え、それまでずっと親指が弾きにくく感じていました。とは言え、今でもちょっと敬遠するような難しい曲を弾いていたのも事実です。それが、通っていた音楽専門学校の卒業試験が近づくに連れて、だんだんと右手がおかしくなってきたのです。練習すればするほど予測できない動きになってきて、人差し指が何かと曲がったままの状態になりました。

当時は何が起きたのかわからないまま、周囲もジストニアという病気を知らなかったため、この症状は腱鞘炎だと言われ、そう信じていました。周りの人は腱鞘炎にも全く痛みのないものがある、と言っていたのです。

でもこれっておかしな話ですよね。炎症なのに痛みがないって。また、炎症で膨れ上がった腱のために人差し指がおかしいという感じは全くありません。

それから2年ほど、鍼、気功、キネシオテープなどで治そうとしていましたが治らず、私は一旦、ギターも楽譜も手放してギターを止めました。この先はまた今度書きます。